カール・ゴッチ (1924 – 2007)

カテゴリー: 『puroresu』 , 人物

とうとう逝ってしまった。8月3日で83歳になる直前のことだった。

彼のプロレス界に残した功績は大きい。っつうか、大き過ぎるんだけど、残念ながらそれを判ってるのは、ある世代以前の日本のプロレスファンか、極一部のアメリカのマニア達くらい。

自分も実は、彼の試合で見たことがあるのは新日本プロレスの第一回興行でのメインの対アントニオ猪木戦、同じく新日初期に行なわれたルー・テーズと組んでの対猪木&坂口征二戦、去年入手した国際プロレスDVDセットに入ってる対ビル・ロビンソン戦くらい。あと1982年元旦に行なわれた藤原喜明とのエキシビションだけはビデオじゃなく生放送で見た。

以前、凶器攻撃と流血で有名なアブドーラ・ザ・ブッチャーに「リング上で観客に判らないことをやるつまらないレスラー」とか言われたり、長年日本でレフリーを務めたユセフ・トルコには、「あんなの幼稚園の先生。猪木が可愛がり過ぎた。」などと言われたりもしたし、基本的にショー的要素を重んじる業界人からはあまり好かれてはなかった。が、自分がテキサスの大学にいたころ、友人がジョニー・バレンタインと話をしてた際、彼の名前を出すと、かつて全米で大悪役として暴れまくった、あのバレンタインが、「彼が本気で仕掛けてきた時は本当にヤバかった。」と、情け無さそうな顔をして話したこともあった。そして20世紀最高のレスラーと言われるルー・テーズでさえ一目置いてしまうという、それくらいの職人レスラーだった。

といった感じで、アメリカではあまり売り出されず、唯一トップ扱いされたのは、1960年代前半のオハイオ地区くらい。

だが日本では、多くの弟子を育てたコーチとして有名で『プロレスの神様』と呼ばれた。主な弟子には、猪木、藤原、木戸修、藤波辰爾、佐山聡(初代タイガーマスク)、前田日明、船木誠勝他、後に日本での総合格闘技の先駆けとなるUWF系選手を含め、かつての新日本の大物が揃っている。アメリカでも最近、マニアの間で、「総合格闘技のパイオニア」だと言われることがある。

確かに試合は殆ど見たことがない。でもカール・ゴッチの存在があったからこそ、少年期に新日本ファンとして育った自分もこれまで30年近くプロレスファンをやってこれた。

…と、亡くなって改めて感じている。

Rest in Peace…


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