悲報が続くなぁ…。

巨匠達がこの世を去っていく。

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自分が何の仕事をしてるかって聞かれると、コンピューター関連なわけで、それしか職業にしたことはない。

だが、趣味が何かと聞かれると、時々戸惑うことがある。

音楽とプロレス…ってことになるんだろうが、両方とも、費やす時間が多いこともあり、もしかしたら趣味の域を超えかけているかもしれないと思うことがあるからだ。

先月末から昨日まで、音楽界やプロレス界から、数人の巨匠がこの世を去った。

バーン・ガニア (1926/02/26 – 2015/04/27)は、自分がプロレスを見始めた時は、既に全盛期を超えていて、リアルタイムで観たのは、1981年1月にジャイアント馬場と試合した時のことくらいしか記憶にないが、プロレス史においてはとてつもない大物。プロレス史研究家の自分としても、すごくそれを感じる。色々な会社や団体が『プロレスの殿堂』を制定しているが、その中のメジャーなもの全てに彼の名が載っている。

アマチュアレスリングでもNCAA選手権二度優勝。1948年のロンドン・オリンピックではアメリカ代表チームに選ばれながらも補欠だったらしいが、その理由は、ガニアが既にカーニバルなどの賞金マッチで試合をしていたことから、アマチュアとしての扱いをしていいのか、コーチ達の間で疑問が持たれていたかららしい。

1949年にプロレスデビュー。早くも同年末にはトーナメントに優勝しテキサス州ヘビー級選手権を奪取。翌1950年には世界ジュニアヘビー級選手権トーナメントにも優勝。

1953年以降は、USヘビー級王者としてテレビ中継を通してそれまで以上に注目を浴び、ルー・テーズの持つ世界ヘビー級選手権の価値を脅かす存在だった。一部のプロモーター達から、混乱を防ぐために『USヘビー級選手権』ではなく『USテレビ選手権』と呼ぶように要請があったほど (どう考えても『世界』と『US』は別なわけだが、『アメリカ=世界』という勘違いは、メジャーリーグだけだはなく、19世紀末からプロレスでもあった)。

そして1960年には、アメリカとカナダのプロレス界をほぼ独占していた、NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)というプロモーター達の連合体を脱退、独自にAWA(アメリカン・レスリング・アソシエーション)を発足させる。これにより、両国の勢力図が大きく変わった(裏では、独禁法対策として、NWAがAWAを容認していたわけだが…)。中西部から西部にかけて、大帝国を築き上げた。日本でも国際プロレス後に全日本プロレスと提携し、選手達を送り込んだ。

コーチとしても、リック・フレアーリッキー・スティムボートのような、これまた歴史に名が刻まれる選手達を育てた。

プロレスにおいて、あらゆる面で、語りきれない多くのものを遺した。

阿修羅・原 (1947/01/08 – 2015/04/28)について、以前、日本のプロレス評論家たちが、もしデビューがもう少し早かったら国際プロレスを救えたんじゃないかということを語っていた。だが、原が活躍し始めたころは、既に国際プロレスのテレビ中継は打ち切られ、閉鎖を待つのみだったそうだ。

国際プロレスが倒産し、当初は原も他の選手達とアントニオ猪木新日本プロレスに移り、そこでの『団体間』抗争を始めるはずだった。実際に1981年10月8日のカードの切符には原の顔も載っていた。

だが、マイティ井上らと共にジャイアント馬場の全日本プロレスに参戦。そこで後に良きライバルでタッグパートナーにもなる天龍源一郎と出逢う。もし新日本に参戦していたら、多分、猪木や藤波辰巳らの引き立て役に終わり、全日本でのような活躍ができなかったかもしれない。もちろん、長州力らと共に、いずれにせよ全日本に参戦していたかもしれないが…。

決してどこかの団体でトップをとってたというわけではないが、彼の動向が、日本のプロレス史に大きな影響を及ぼしてきたと思う。

ベン・E・キング (1938/09/28 – 2015/04/30)というと、まるで一発屋と勘違いしてる人が多いが、実は「え? それもあの人の曲だったん?」というリアクションも結構多い。

例えば、先日も友人に、「『ラストダンスは私に』ってシャンソンだよね?」って聞かれた。実際よくあるコメントで、日本では越路吹雪の歌として有名なのでそういう印象が強いが、実はオリジナルはキングが所属していたザ・ドリフターズという、これまた日本では全く別の印象につながる名前を持つアメリカのグループによる曲。

他にも色々ヒット曲はあるけど、結局『Stand By Me』が永遠の名曲として残りそうな気がする。多くの人達がカバーしてるが、やっぱ自分が好きなのはオリジナル。

とはいえ、それ以外の曲を知らないという人は、彼のベスト盤などで、他の曲を聴いてみるのも是非お薦めしたい。

B・B・キング (1925/09/16 – 2015/05/14)については去年も書いた。自分はギターも弾かないし、エレクトリックのブルースが大好きってわけでもないが、彼がテレビに出てたりすると、やはり見てしまう。

昔行ったコンサートで、「ブルースは元々、悲しみや辛さを歌う音楽だが、今の自分はブルースを歌うことが喜びになっていることを神に感謝したい。」と言ってたのが思い出される。伝記を読んでも、キリストへの信仰が強かったと思われる。正直、彼の音楽についてはそこまで詳しくないが、そういえばいつも楽しそうに演奏してたなぁ…。音楽の面だけでじゃなく、そういった彼の心の部分にまで、ファンの方々に気付いてもらえたらと思う。

こういう時に感じるのは、誰かがいなくなって改めてその人生について思い出すのもいいが、やはり生前からその人達の存在に感謝できたらいいなと思う。

RIP…


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