2001年頃、ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)はアソシエートやアフィリエイトといった、各加盟団体が、更にその傘下に提携団体を置けるという制度を始めた。両方とも出資者ではないので総会などでの発言権もないが、アソシエートは会費を払う義務と同時に親メンバーの地域内での担当地区が与えられた。アフィリエイトの基準は親メンバー次第で様々だった。実はこれが、日本のプロレス団体に少なからずとも影響を及ぼしてる。
NWAがWWEと提携していた1998年、一挙に加盟団体が増えたが、その中に『NWAミッドウェスト』というのがあった。
2001年以降、NWAミッドウェストにも合計15~20の傘下団体があったが、名前の通り、当初は殆どが中西部の団体だった。2009年、何故かフロリダ州南部も担当地区に追加され、同地のプロレスリング・フュージョン(PWF)がNWAミッドウェストの傘下団体として加盟した。
2010年1月には、NWAミッドウェストのプロモーターだったエド・チューマンが他界。リコ・マンが引き継いだ。
同年11月にはフロリダ州フォートピアースにて、PWF常連選手のクレイグ・クラシック(後のクラシック・キッド)がマイク・クァッケンブッシュからNWA世界ジュニアヘビー級王座を、2011年4月にはジャクソンビルで2代目ザ・シーク(PWFプロモーター、ジョセフ・カビボ)がコルト・カバナから世界ヘビー級王座を、同年11月にはミルウォーキーでダークシティ・ファイトクラブがスカルクラッシャーズから世界タッグ王座をそれぞれ奪取した。3つの世界王座が、PWF系選手達によって保持されることになった。
シークは日本のゼロワンでヘビー級王座を防衛するが、同年7月31日にオハイオ州コロンバスで予定されていたNWA本部指定試合への出場を拒否したため、7月11日付で王座を剥奪された。同日、それに抗議したクレイグはジュニアヘビー級王座の返上を発表したが、それにも関わらず、日本にベルトを持っていき、ゼロワンで防衛戦を行う。これが現在もゼロワンでインターナショナル王座と共に防衛されているNWA世界王座である。
同年11月、マンはNWAミッドウェストの解散を発表、PWFが『プロレスリング・ゼロワンUSA』となり、傘下団体のうちNWAシュープリーム(イリノイ)、NWAブリューシティ(ウィスコンシン)、NWAアンダーグラウンド(インディアナ)らが新しくゼロワンUSAに加盟した。NWAウィスコンシンやNWAインディアナ、ダイナモ・プロレスリング(セントルイス)、メトロ・プロレスリング(カンザスシティ)など、その他傘下だった団体はそれぞれNWAの中でアソシエートやアフィリエイトから繰り上がりして正メンバーになった。その後米国外においても、スコットランドやアイルランド、オーストラリアの元NWA加盟団体、他にも香港、ベラルーシ、メキシコの団体もゼロワンに加盟した。
同じく11月、ゼロワンの中村祥之代表が、自身のfacebookプロフィールにおいて、『ニュー・レスリング・アライアンス』(NWA)の発足予定を、ロゴと共に発表。現在ゼロワンで使われてるのは、おそらくこのNWAという解釈でいいかと思われる。
ブリューシティは2012年4月、アンダーグラウンドは同年9月にそれぞれゼロワンを脱退。カビボも2013年頃からカリフォルニアに拠点を移しPWFは自然消滅、その他アラスカやノースキャロライナにも加盟団体があったが、現在米国では2013年以降シュープリーム(イリノイ)のみがゼロワンUSAとして活動、小規模ながら日本とは別に独自の世界ヘビー級、ジュニアヘビー級、女子、タッグの4王座を認定している。