『マスコミ』という言葉が死語になりかけてると聞いたことがあるが、新聞や雑誌を中心としたメディアのことなんで、あえてこの言葉を使わせていただくと、少なくとも昭和においては、日本のプロレスマスコミは世界最高だったかもしれない。東京スポーツや、『プロレス』、『ゴング』といった雑誌が充実していて、バックナンバーさえあれば、ミゼットプロレスや大半の昭和の女子プロレスを除くと、大体の試合結果を調べることができる。
もしかしたら、メキシコもある程度充実しているのかもしれないが、自分はスペイン語ができないので知る余地もない。それ以前に、自分の印象では、メキシコも日本やアメリカ同様、外国語教育が大したことないのか、インターネット上でも、メキシコから積極的に英語圏の人達と連絡を取ろうという意欲のある人を殆ど見ることがない。
ヨーロッパについては、元々基本的に少しくらいは英語を知ってる人達が多いし、昔と比べると、近年はイギリスやアイルランドのような英語圏外の国々においても、色々と研究して英語での情報を発信してくれる人達が少しずつ現れてきている。
アメリカの場合、日本と違って、新聞やテレビ局は全国的か地方都市発信かのどちらかなので、小さな州でない限り州全体のものが殆どない。要するに、プロレスが地方制だった頃も、ある一つの地区全体を対象とした新聞やテレビ局も無かった。昔から、試合結果を調べたい町まで実際に行って、地元の図書館に閉じこもって研究をしていた人達が何人もいたが、その町で何曜日にプロレスの興行があったかを調べ、その前後の記事や広告を、マイクロスコープを覗きながらノートに書き込んでいくという、膨大な作業だったようだ。
現在は、インターネットの新聞アーカイブサービスで、プロレスが始まったと言われる19世紀中頃からの新聞記事の大半を読むことができる。文章内検索もできるので、これまで聞いてきた昔の話とは比べられないほど楽だ。自分は3つの有料サービスに登録し、それに加えて時々Google Newsの新聞アーカイブも使っている。また、必要に応じて、ニューヨーク・タイムスやアトランタ・コンスティテューションなど、第三者による複数の新聞を集めたサービスに載せず独自でオンラインアーカイブを持っている新聞に一時的に登録して集中して調べ上げることもある。
だが、先人達の労苦に比べると何でもないとはいえ、それでも研究上難しい点が色々とある。決して愚痴を言いたいわけではないが、幾つか挙げてみたい。
『wrestling』
単に、この言葉で検索すればいいというものではない。
「今日も政治家たちは法律と格闘している。」というような場合にも、この言葉が使われるからだ。
また、1930年代頃までの新聞でやたらと多かったのが、酒場や誰かのアパートでの『friendly wrestling』が大喧嘩につながって怪我人や酷い時は死人まで出たという記事。じゃれて相撲してたのか、または酔っ払って力試しをしたかったのか、遊びのつもりが喧嘩になったという具合だ。
『mat』
ボクシングの『ring』に対して、プロレスの『mat』なわけだが、多くの場合、プロレスに関する記事なのに、『wrestling』という言葉が一度も出てこなく、『mat』とだけ記述されていることもある。1950年代頃までの記事だと、『mat card』や『mat champion』という言葉での表記も多い。これが、ボクシングと区別して検索する際、厄介になる。
アマレス
アマチュアからプロに転向というケースは当然多いが、第二次世界大戦前は、プロレスとアマレスの両方に出場し続けていた選手も結構多かったようだ。そのうえプロの選手達も所属する地元のスポーツクラブなどが主催のイベントだと、プロなのかアマなのか不明確な場合も多い。
ボクシング
通常、『fight』という言葉が入っていたり何ラウンドの試合か明記されていればボクシングだと判るが、それらの記述がないと、どちらの試合結果なのかわからないこともある。同時期にプロレスとボクシングの両方で活躍する選手というのも珍しくなかったので、これまた解り辛い。その上、同じ興行の中で、プロレスとボクシングの両方の試合が行われてたことも多かったので、更に混乱を招く。
繰り返し
冒頭でも書いたが、同じ地区内でも、都市ごとに新聞とテレビ局があり、よその町で何が起こったか報道されない場合が多かったので、同じ試合が繰り返されるというのも稀ではなかった。ある町で、選手Aが選手Bから王座を奪取しても、翌日、同地区内の別の町で同様にAがBから同じ王座を奪取したというのも多くあった。例えば、ロサンゼルス近郊の場合、ロングビーチでの王座移動がサンバーナーディーノやベイカーズフィールドで繰り返されるといった具合だ。そういった場合、ロングビーチで先に王座移動があっても、こちらで見つかったのがその翌日のベイカーズフィールドでの王座移動だとしたら、Wrestling-Titles.com内のページを更新する際、ベイカーズフィールドのを載せてしまうわけで、時として何年も後になって、ロングビーチのものが見つかってからやっとそのページに正しい情報を載せるということもある。
1970年代
『今尚NWAを追う(3) – 地域制崩壊』で書き忘れたことだが、1970年代に入ると、地方新聞におけるプロレスの試合結果に関する報道が極端に減っている。毎週、その週のカードが発表されることはあっても、結果に関する記事がない、といった具合だ。プロモーターが金を払って新聞に載せてもらう広告も、選手権試合という記述はあっても、どちらが王者かまでは書いてないことが多い。新聞がプロレスの相手をしなくなったのも、地方制崩壊の原因の1つではないかと思われる。
ダラスやメンフィスのようなプロレスが盛んで引き続き新聞に試合結果が載っていた地域を除くと、1990年代後半に一般にもインターネットが普及しウェブサイトの数が増えるまでの間の情報は、ファンによる同人誌などからでないと、一般的に地方団体の試合結果を入手するのは難しい。今でこそ、当時の同人誌の多くがPDFで出回っているが、スキャンされたものにOCRをかけたところで誤認識もよくあるわけで、ネットでの検索ほど楽にはいかない。
新聞記事がない町 (2018年2月現在)
当然のことながら、インターネットのアーカイブサービスで昔の記事を載せてない新聞もたくさんあり、中にはプロレスが盛んだった町のものもある。以下はその一部。
- オクラホマ州タルサ – 1979年にビル・ワットがルイジアナとミシシッピでの興行権を買収するまでは、レロイ・マクガークの中南部地区の中心地だった。地元の選手権が移動したことも多かったと推測されるが、世界ジュニアヘビー級王座の防衛戦も多かったはず。この地域もまた、タルサで起こったと思われる王座移動が、後日オクラホマシティやアーカンソー州リトルロックなどでも繰り返されていたようなので、解り難い。
- テキサス州ヒューストン – モリス・シーゲルの本拠地で、1966年にジャック・アドキッソン (フリッツ・フォン・エリック)が興行戦争に勝つまでは、テキサス地区の中心地だった。テキサス州選手権の多くはヒューストンで移動があったはず。
- アラバマ州バーミンガム – 1970年代までは、ナッシュビルのニック・グラスの傘下として、ジョー・ガンサーが主宰。同地区の中心地ではなかったが、選手権変遷史の中で王座移動が不明な部分が多いことを考えると、ここでの試合結果をもっと入手できればと思う。
綴り違い
もちろん、選手の名前の綴りが間違ってると検索にひっかからない。マツダ・ソラキチが『Matsada』、ダニー・マクシェーンが『McShain』ではなく時々『McShane』と表記されていたというのは有名なので、まだ推測しながらの検索ができるが、予想できない間違いも多い。例えば、最近見つけたので、K・O・マーフィーという選手の『K・O』が『Kayo』と綴られているというのがあった。おそらく新聞編集部の人間が現場の記者かプロモーターから電話で名前を聞き出した程度だったのだろう。
新聞記事だけではなく、プロモーター側が用意した宣伝広告でも間違いが多かった。こんな調子でいい加減なんで、後年『トーゴー』が『ポーゴ』、『ムトー』が『ムタ』になったところで、全く不思議に思えない。
以上、色々と挙げさせていただいたが、プロレスに限らず、英語で新聞アーカイブを利用して研究する上で、何等かの参考になればと思う。
