現在NWAは、世界ヘビー級王座のみに重点を置き、ビリー・コーガンによる買収以前に本部が管理していたその他の選手権について今後どうなるのかという問い合わせには、全て、「お楽しみに。」とだけ答えている。ヘビー級以外に本部が管理してきたのは、ジュニアヘビー級、女子、タッグ、そして北米ヘビー級とナショナル・ヘビー級王座だが、その中でもNWAファンの間で『復帰』を期待する声が多いのは、世界ジュニアヘビー級王座だ。空中殺法が好きなアメリカのインディファンならではのことだろう。
その軽量級の選手権だが、あるブログでの先日の書き込みが気になった。
現存する世界最古のプロレス団体は、1933年、『ルチャリブレの父』サルバドール・ルテロ・ゴンザレスがエンプレサ・メヒカナ・デ・ルチャ・リブレ(EMLL)として発足した、コンセホ・ムンディアル・デ・ルチャ・リブレ(CMLL)。
1952年にはNWA(アライアンス)にも加盟、1959年以降は本部直轄の世界ライトヘビー級王座も管理し、1972年には年次総会もメキシコシティで開催するなど、NWA内でも重鎮として活躍した。また、本部直轄ではなかったが、NWA世界ミドル級、ウェルター級王座も運営。これら3つの選手権はNWA(アソシエーション)からも認定されていた。
1980年代に入ると、NWAも団体としての機能が低下、EMLLは1991年、各NWA王座の管理を継続しながらも、独自にCMLL世界王座を新設し、後に団体名もCMLLに変更。
だが、2008年1月、当時NWA内での権力を増していたロサンゼルス地区の会員デビッド・マルケスが、ブルー・デーモン・ジュニアと共に『NWAメキシコ』を発足。間もなく、ボブ・トロビッチNWA事務局長と共に『NWA』の名称の使用に関して、CMLLに対し抗議を始める。
結果、2010年8月、CMLLは3王座を全て『CMLLヒストリック王座』に改称することを発表するが、間もなく『NWAヒストリック世界選手権』として認定。実はこの法的闘争期間中、なんとCMLLは、メキシコにて『ナショナル・レスリング・アライアンス NWA』を商標登録してしまったのだ。これによって、メキシコ国内では法的にもCMLLがNWAの商標に対する権利を持つことになった。結局、NWAメキシコも長続きはしなかったが、CMLLは選手権の名称をわざわざ戻すこともなかった。ちなみに、CMLLは翌年、当時トップスターだったミスティコがWWEに引き抜かれ、シン・カラという名でデビューした際も、メキシコ国内で『シン・カラ』という名称と覆面のデザインを商標登録して、WWEを出し抜いたこともあった。
現在NWAの名称やロゴが親会社のライトニング・ワンによって商標登録されているのは、ブルース・サープから買収した権利を引き継いでいる米国と日本の2ヶ国のみ。隣国のカナダでさえも登録されておらず、ケベック州の某団体では、未だにNWA英連邦ヘビー級およびNWAカナダ・タッグ王座が防衛されている。つまり、2013年にサープが日本で登録申請するまでは、一時は世界的な規模だったNWAの商標が、米国以外では登録されていなかったということだ。
そして2018年3月26日、CMLLは3月30日のアレナ・メヒコ大会のポスターの中にあった『NWAヒストリック世界ウェルター級選手権』という記述を、わざわざ『ナショナル・レスリング・アライアンス世界ウェルター級選手権』に変更した。
https://twitter.com/luchablog/status/978688215799488513
色々な面が適当でいい加減だといわれるルチャリブレの世界。今回の変更もどういう意味を持つのかは現在不明で、もしかしたら団体側の単なる気まぐれである可能性も十分あるわけだが、何故今このタイミングで変更がなされたのかが興味深い。
選手権史に拘る自分としては、メキシコの3王座も『NWA世界選手権』に戻して、1930~1950年代からの歴史を受け継ぐものとして続いてくれた方が、なんとなく嬉しいような気がする。