生きた伝説

『レジェンド』なんて、本当はそんなにいないのかも。

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日本でもアメリカでも、最近の人達は、やたらと『レジェンド』という言葉を乱用しているような気がする。

でも、もしそれを、元々の日本語である『伝説』に置き換えたらどうだろうか。簡単に『レジェンド』とは呼ばれるが、『伝説』という言葉には当てはまりそうにないのが多いのではないだろうか。

何を以ってレジェンドと呼べるのかは、色々な基準があるかもしれないが、第二次世界大戦後のアメリカで、プロレスで活躍し、ファン以外にも知られているという点でのレジェンドは誰なのか考えてみた。

まず、アンドレ・ザ・ジャイアントは例外だ。その知名度は、アメリカやカナダに限った話じゃない。ただ、彼の場合は、良くも悪くもあの巨体があったからだろう。

現在プロレス関係者で最も有名で人気もあるのは、『ザ・ロック』ことドウェイン・ジョンソンであることは揺るがない事実。プロレス抜きにしてハリウッド全体を考えても最も稼いでる俳優の1人で、もはやプロレスファンにも手が届かない存在になってしまったのかもしれない。

ただ、日本にどう伝わっているのかは知らないが、プロレスに限っていうと、ロックが現役選手として活動していたころは、スティーブ・オースティンの方がプロレスファン以外の間でも有名だった。当時のことを思い出すと、ロックがプロレス以外でも知られるようになったのは、映画に出始めてからだったような気がする。

その前の世代では、やはりハルク・ホーガンとリック・フレアーだ。知名度では当然ホーガンの方が上だが、ホーガンがプロレス以外のテレビ番組や映画に出演していたことを考えると、プロレス一本でその地位を築いたフレアーは、やはり凄いんだと思う。

他にもジェシー・ベンチュラやロディ・パイパーらが結構有名だったが、2人もどちらかというとプロレス以外での活躍によるものだという気がしないでもない。

だが、これらの選手達の殆どが有名なのは、80年代以降、ケーブルテレビやインターネットなどで、広範囲における情報発信が昔よりも簡単になってからの話。

今でこそ、インターネットのおかげで、日本国外のファンの間でも力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木といった日本プロレス界のレジェンド達の名が知られるようになったが、力道山が本当の意味で活躍したと言えるのは西海岸だけだし、猪木に関しては、『アリと対戦した日本人』だと説明してやっとわかってもらえるという程度で、馬場も60年代にテレビで観たのを憶えている人達がいるかもしれないが、基本的に昔は3人ともプロレス通でないと知らない名前だった。

だが、WWFによりプロレスが全国規模になる前、アンドレ以外に、ファンじゃない人達からも知られ、地域もジャンルも超えた存在がいた。アンドレやホーガンのようにプロレス以外で活躍したというわけでもなく、あくまでプロレスによる知名度だった。

1988年2月5日、金曜日。自分がテネシー州の高校に留学した一年目の夜のことだった。

寮のラウンジで、何人かで集まってWWFの中継を観ていた。アンドレがホーガンに勝ち、WWF世界ヘビー級王座を奪取したが、試合後、すぐにテッド・デビアスに王座を売ってしまった、3千3百万人がテレビで観たと言われる試合だ。

番組の途中で、もう1人、ラウンジに入って来た。

「プロレスかぁ。あんまり興味ないけど、昔、ホーガンなんかより、もっとすげぇのがいたんだよな…。」

独り言のようにポツリと語り、みんなを「引かせた」後で、その場を去って行った。

後から聞くと、そいつの出身は隣のケンタッキー州。ニューヨークからはほど遠い。

それ以後も何人か、プロレスファンってわけじゃないけど、「そりゃ、名前くらい知ってるよ。」という人達と会うことがあった。

そういう意味では、ブルーノ・サンマルティノは、正に『伝説』だったのかもしれない。

RIP…


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