今回の話題については、まだまだ研究中なので(というか、殆ど全ての話題についてそうなんだが)、明確ではないにしろ、忘れる前に書いておくことにした。
実は、入手はしているがWrestling-Titles.comに載せてない情報も当然のことながら大量にあり、新聞記事で一度だけ記述があったような選手権もメモに残していたりする。
それらのメモ以外で、現在サイトに載せているので最も古いのは、米国カラー・アンド・エルボー選手権。
19世紀後半、米国では、グレコローマンより先に、カラー・アンド・エルボーというスタイルの方が人気を得ていたようだ。元々はアイルランドで始まったらしく、17世紀には既に存在していたようだが、米国では地域によってルールも異なっていたとのこと。
プロレスの選手権としては、主に北東部で盛んだったようで、今のところ判明しているのは、1863年3月の時点でルイス・エインスワースが米国王座を主張していたということ。翌月、ニューヨークでハリー・ヒルがエインスワースを倒して王座を奪取するが、試合後引退を表明。以後、ニューヨークで試合なども行われるイベント会場の運営に専念する。
1866年春の時点では、エインスワースが再度王座を主張するが、5月にニュージャージー州ニューアークでジェームス・H・マクラフリンに敗れる。その後、ホーマー・レーンやジェームス・オーエンズ、ヘンリー・M・ドゥファーらが王座を保持するが、マクラフリンもオーエンズも、敗れた後も王座を主張し続け、王座乱立が始まる。選手権を運営および管理する『団体』が出現し始めたのは1910~20年代頃なので、選手が勝手に王座を主張できていた時代だったのだろう。
そして、1873年5月、ニューヨーク州トロイで、当時幾つか存在した同選手権の主張者の1人レーンを、ジョン・マクマホンが破り、王座奪取。
同年7月、米国王者マクマホンは、同じくトロイでカナダ王者トーマス・コープランドを破り、世界王座を主張。以降、場所や保持する選手によって、世界選手権として試合が行われる場合もあれば米国選手権の場合もあり、混合が続く。『米国と世界』でも書いたが、この妙な『伝統』は既にこの頃始まっていたようだ。
結局、マクラフリンは1887年頃、マクマホンも1892年10月と、それぞれ引退するまで王座を主張し続けた。両者を破っていたドゥファーは、1887年11月、バーモント州スワントンでエド・デッカーに敗れるが、それ以後のデッカーの防衛戦の記録は、現時点の自分の研究では見つかっていない。プロレスにおいてのカラー・アンド・エルボーは、19世紀末には廃れていったと思われる。
米国最古であった可能性が高いと同時に、少なくとも同国においては、『世界』とついた最古のプロレス選手権だったようだ。
