二十世紀王座統一劇 (下)

団体を越えた起源を持つ選手権の統一: 1970~90年代

カテゴリー: プロレス史一般

プロレス界では、何度となく、選手権の分裂と統一が行われているが、ここでは、全日本プロレス三冠ヘビー級王座のような団体内の統一ではなく、異なる団体の提携や合併により統一された王座を挙げていく。今回は1970年代から1990年代まで。1930年代から1960年代まではこちらを。

メキシコ湾岸地区版 & 中南部版USタッグ王座 (1974年)
メキシコ湾岸地区では、本拠地であるアラバマ州モービルを中心に防衛戦が行われていた南部タッグ王座とは別に、ルイジアナ州南部でも1965年からUS王座を認定していた。1968年に同州での興行を停止したため、一度は王座が封印となったが、1971年より再びモービルで認定。同地区では、1967年以降南部王座を引き継ぐ形で認定されていた湾岸王座と、再び2つのタッグ王座が存在していた。

一方、オクラホマ州タルサを本拠としていた中南部地区でもUS王座が認定されていた。日本はもちろん米国においても、こちらの方が有名だ。

どういう経緯かは不明だが、1974年5月、フロリダ州ペンサコーラで中南部地区版王者組ボブ・スウィータン & ジークフリード・スタンクが湾岸地区版王者組カウボーイ・ボブ・ケリー & ロケット・モンローを破り王座統一。

ジョイント・プロモーションズ & オールスター・レスリング世界ヘビー級王座 (1983年)
1952年結成以来、英国プロレス界をほぼ独占していたジョイント・プロモーションに対し、1970年代から少しずつ力をつけ始め、老舗団体を脅かす存在となったオールスター・プロモーション。1980年代初期には多くの選手達がオールスターへ移籍し、ジョイント認定王座をそのまま防衛し続けたり、または封印していった。

世界ヘビー級王者ジョン・クインもその人で、1980年、王座を持ったままオールスターへ移籍し、引き続き世界王者として認定された。だが、ジョイントでは新王者決定トーナメントを開催、優勝したウェイン・ブリッジスが新王者となった。

結局1983年2月にはブリッジスもオールスターへ移籍、同団体には2年以上2人の世界ヘビー級王者が存在していた。最終的には1985年5月、ブリッジスがクインを破り、両王座統一。

NWA・US & ナショナル・ヘビー級王座 (1986年)
今尚NWAを追う(3) – 地域制崩壊』でも書いたとおり、1985年3月、ミッドアトランティック地区ジム・クロケット・ジュニアジョージア地区を買収。しばらく同地区のナショナル王座を引き続き認定していたが、タッグ王座は1986年2月、US王座新規認定に伴いナショナル王座は封印。ヘビー級は、1986年9月、US王者ニキタ・コロフがナショナル王者ワフー・マクダニエルを破り統一。

NWA & UWF世界テレビ王座 (1987年)
1986年3月、WWFやジム・クロケット・プロモーション(JCP)、そしてダラスのワールドクラス(WCWA)に続き、中南部MSWAのビル・ワットも全米進出を図り団体名をUWFに変更。だが同年、本拠だったオクラホマ州の石油業界が激しい不況に陥ると共に、翌年、クロケットがUWFを買収。

クロケットが欲しかったのは、UWFの持つテレビ放送の契約のみで、多くの選手達がJCPに移籍をしたものの、最終的にはテレビ王座のみ統一戦が行われ、UWFの世界ヘビー級およびタッグ王座は自然消滅となり、今でも多くのファンが、クロケットが団体対抗戦の大きな機会を逃したことに不満を抱いている。

だが約14年後には、WWFもそれと似た『過ち』を犯してしまう。

AWA & WCWA世界ヘビー級王座 (1988年)
1978年以来、AWAと提携関係を保ち続けてきたメンフィスCWA。同年8月メンフィスに初登場したAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンケルに挑戦したジェリー・ローラーは、幾多もの『幻の王座移動』を含む多数の選手権試合の後、約10年経った1988年8月、カート・ヘニングを破り、念願の王座奪取を果たした。

この頃は、全米侵攻中だったWWFとJCPに対抗し、AWAとCWA、ダラスのWCWA、オレゴンのPNW、アラバマのCWF、そして新日本プロレスが提携関係にあり、AWAとWCWAの統一戦も計画されていた。

そして12月、シカゴで行われたAWAのPPV大会で、AWA世界王者ローラーがWCWA世界王者ケリー・フォン・エリックを破り王座統一。

翌月、ローラーはAWA王座を剥奪。AWA側の理由は、ローラーがAWA圏での防衛戦を拒否したということだが、ローラーの言い分としてはPPV大会のギャラの未支払いが理由だった。

CWAのジェリー・ジャレットは、WCWAを買収し、団体名もUSWAに変更、改めてローラーを統一王者として認定した。

8冠統一ジュニアヘビー級王座 (1996年)
わざわざここで詳しく書く必要性も感じないが、よくよく考えると、いくらプロレスにおける体重階級の管理がいい加減だとはいえ、上はジュニアヘビー級から下はウェルター級というのは、やはり強引だったような気がする。

ちなみに、ウルティモ・ドラゴンは、1996年12月29日から1997年1月4日までの間、NWA世界ミドル級王座WCW世界クルーザー級王座に併せて、10冠王座を保持していた。

WWF & WCW王座 (2001年)
20世紀ではないが、21世紀に入ると間もなく、WWFがWCWの商標他を買収。クルーザー級王座がWWF認定に代わり、クルーザー級タッグ王座女子王座は廃止された。

11月開催のサバイバーシリーズではWCW世界タッグ王座WWF世界タッグ王座に、WCW・USヘビー級王座がWWFインターコンチネンタル・ヘビー級王座にそれぞれ統一された。翌12月開催のヴェンジャンスでは、クリス・ジェリコがカート・アングルからWCW世界ヘビー級王座を奪取した後、WWF世界王者スティーブ・オースティンを破り、統一王者に認定された。

だが、これもまた前述のNWAとUWF同様、もっとWCWとの対抗戦を長引かせた方がよかったのではないかという声が多い。事実、同年のサバイバーシリーズの翌日にはWCWの象徴的存在だったリック・フレアー、翌2002年2月にはWCWで悪の限りを尽くしたnWoのハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、そして7月にはWCW社長だったエリック・ビショフもWWFに登場していて、もしWWFとWCWの抗争が続いていたら、かつての新日本プロレスと新国際軍団とは比べ物にならないくらいの盛り上がりを見せた可能性も十分ある。だが、「自分が創り上げたもの以外は認めたくない」といわれるマクマホンに、そこまでWCWという存在を継続させるというのは、無理だったのかもしれない。

ところで、今回これを書いている途中で、ふと思ったことがある。

1985年8月、ザ・コブラがNWA世界ジュニアヘビー級王座を返上。そして2ヶ月後の10月には、新日本プロレスがWWFとの業務提携を終了し、それに伴いWWFジュニアヘビー級王座を封印。

更に4ヶ月後の翌1986年2月には、IWGPジュニアヘビー級王座決定戦が開催される。

ならば、どうせNWAもWWFもジュニアヘビー級王座に関しては事実上新日本プロレスが管理していたので、両王座の統一戦を初代IWGP王座決定戦にすればよかったのに…と、王座変遷史オタクとしては考えてしまうのである。


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