テキサスの思い出(11) – 虎の爪

『現代の戦士』追悼

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アメリカのテレビでは、コマーシャルの間にちょっとだけ速報を流し、「詳しくは6時のニュースで。」といった具合に、その晩のニュース番組の宣伝をすることが多い。

1993年2月18日。大学の授業を終え、アパートに戻りビールを飲みながらテレビを見てたら、コマーシャルの間のニュース速報で「当地出身プロレス界のスーパースターが死亡。」というようなのが流れた。夕方のニュースを釘付けになって見た記憶がある。

ダラス近辺では知らない人などいない『鉄の爪一家』の中では、父フリッツ・フォン・エリックと同等、またはそれ以上に成功したと言っても過言ではないケリー・フォン・エリックが自殺したという。それも、うちのアパートから車で15分くらいのところにあるフリッツの牧場で、自らを拳銃で撃ったとのこと。

フリッツの『鉄の爪』にあやかり、日本では『虎の爪』の異名で活躍。家族では唯一NWA世界ヘビー級王座を奪取したケリーの米国でのニックネームは『ザ・モダン・デー・ウォリアー』(現代の戦士)だった。多くの選手達に独自のリングネームをつけることで商標の実権を握りたがるWWFでは『テキサス・トルネード』という名だったが、1990年のPPV『サバイバー・シリーズ』では、リージョン・オブ・ドゥーム(ロード・ウォリアーズ)とアルティメット・ウォリアーと組み、『ザ・ウォリアーズ』として出場した。

1984年には兄デビッドが東京のホテルで死亡。1987年には弟マイクが自殺。

麻薬が見つかってケリーが逮捕されていたのは知ってたが、その約1年半前の1991年9月に、同じく夕方のニュースで知った末弟クリスの自殺がまだ記憶に新しかったということもあり、結構ショックだった。以前自分の友人がデビッドの未亡人と付き合ってたころは彼女ともよく一緒に飲みに行ってたが、クリスの悲報を知った時も、そしてケリーの時も、他人事とはいえ何かしら悲しくて、彼女と話がしたかったのに、2人は既に別れてたので連絡がとれず、余計に暗い気持ちになったのを憶えてる。

ケリーの2人の弟マイクとクリスは、3人の兄達とは違い、体格や健康の面で決して恵まれていたとはいえず、プロレス家族の一員として背負った荷が重過ぎたことによる自殺だと思われるが、選手として大活躍してきたケリーは、交通事故で片足を失い、それを義足を使うことにより隠しながらも試合を続け、薬に頼るようになり、挙句の果てには逮捕され、色んな意味で先が見えなくなったのかもしれない。

ダラスのローカルニュースでは、幼児期に感電死した兄ジャッキーに加え4人の弟達も失い、兄弟の中で唯一の生き残りとなったケビンがインタビューに応えて言った。

「『追悼興行』などと銘打って、ケリーの死をダシに一儲けしようとするプロモーターが必ず出てくると思うが、エリック一家の一員として、そんなイベントは絶対支持しないし、参加する気もない。」

数日後だったか、ケリーが最後に出場していたGWFが、追悼大会の開催を発表した。1993年4月2日、場所は当然ダラス・スポータトリアムだ。

このころまだ自分は毎週金曜の常連ではなく、スポータトリアムにも何度か行ったことがあるという程度だったが、さすがにこれは行かねばと思い、近所のレコード屋でチケットを購入。

だが蓋を開けてみると、なんとメインイベントでは、ケビンがGWFの常連クリス・アダムスと組み、それも父フリッツがセコンドに付いて、バディ・ロバーツと当時WCW所属だったマイケル・ヘイズのファビュラス・フリーバーズと対戦するという。

試合結果(左側が勝者):

  • ババ・ファングマン vs エド・ロビンソン
  • アレックス・ポートゥ vs カルビン・ナップ
  • スコット・プトスキー vs ロッド・プライス
    ※ 反則勝ち
  • ブッカー・T vs クライベイビー・バクストン
    ※ リングアウト勝ち
  • ショーン・シンプソン & スコット・シンプソン vs コロッサル・コングス
  • テリー・シムズ vs キラー・ブルックス
    ※ 反則勝ち
  • ジョン・ホーク (JBL) & ボビー・ダンカン・ジュニア vs ブラックバーズ
  • マイク・デービス vs ブラック・バート
    ※ リングアウト勝ち
  • エボニー・エクスペリエンス (スティービー・レイ & ブッカー・T) vs シッド・ビシャス & ジョニー・ロットン
  • ケビン・フォン・エリック & クリス・アダムス vs ファビュラス・フリーバーズ (マイケル・ヘイズ & バディ・ロバーツ)

全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルに出場中だったテリー・ゴーディこそいなかったが、それでもスポータトリアムで、かつて米プロレス史に残る抗争を繰り広げたエリック親子とフリーバーズのやり取りを観た時には、涙が出そうになった。

しかし何故、ケビンがこの様な大会に、それも父フリッツと共に出場したのか。

当日は全員ギャラ無し、収益は全てケリーの夫人と2人の娘に寄付されるとのことだった。ただ、「他の興行をキャンセルしてこの大会に出場する選手にはギャラを払う」という発表があったとか無かったとか。

だが、試合から数日後、「ケビンは、出場予定だった(アラバマ州)バーミンガムでの試合を断ってこの試合に出場したという嘘をついて、プロモーターから千ドル(…だったか、正確な額は忘れたが)をもらった。」という噂が流れた。調べたところ、当日バーミンガムではプロレスの興行なんか無かった様だし、GWFで悪役マネージャーをやっていた友人のブランドンに訊いても、「僕達は無償で出場したけど、ケビンが金をもらったのかどうかまでは知らない。確かにそういう噂はあるけどね。」とのことだった。情報源が、ブランドンとは別のGWF内部の人間だったし、それ以前に、元々ダラス近辺でのエリック兄弟の素行について、あまりいい話を聞いてなかったということもあり、自分自身、恥ずかしながらも長い間その噂を信じていた。

実際には、GWFのプロモーターで弁護士のグレイ・ピアーソンとエリック一家との間で過去に問題があったらしく、ピアーソンを完全には信用してなかったケビンが、内金を請求していたらしい。ケビンは、ケリーの娘達を非常に可愛がっていて、自分の家に泊まらせたり試合会場に連れて来たりしていたくらいなので、内金を受け取ることにより、父親を亡くしたばかりの2人の姪ホリーとレイシーに寄付が行き届くということを保障したかったのだという。

当時まだ6歳だったレイシーも、2007年から2010年まで、約3年間プロレスラーとして活躍し、TNAでは女子タッグ王座も保持した。現在は引退し、広告会社を経営しているとか、どこかで読んだような気がするが、昨年(2018年)9月、我が母校である北テキサス大で行われた試合で、ケビンの息子達で主にタッグチームとして活躍しているロスとマーシャルのセコンドにケビンと共に付いた。ニューヨーク在住の自分は行くことができなかったが、その広告を見ただけで嬉しかった。

2018年9月1日 北テキサス大にて
📷
ロス & マーシャル・フォン・エリック 

ケビンも母校のシャツを着ているし、キャンパスはこの色のレンガが多く、自分にとっても懐かしい光景だ。

正直、自分は決してケビンもレイシーもファンっていうわけじゃなかったし、ロスとマーシャルについては殆ど試合を観たことさえないが、こんな写真を見ると、やはり感慨深くなってくる。

RIP…


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