ニューイングランドとは、米国北東部にある地方で、マサチューセッツ、コネチカット、ロードアイランド、メイン、ニューハンプシャー、バーモントの6州からなる。中心都市はマサチューセッツ州ボストンだが、他にもコネチカット州ハートフォードやロードアイランド州プロビデンスなどが主要都市だ。だが、ブリッジポートやニューヘブン、現在WWE本社のあるスタンフォードなどを含むコネチカット州の南西部は、人口調査などを目的とする統計地域の定義上、ボストンではなくニューヨーク近郊という扱いだ。
プロレス史におけるニューイングランドといえば、1922年から1960年までボストンのプロモーターだったポール・バウザーの印象が強いかもしれない。バウザーが1931年からアメリカン・レスリング・アソシエーション(AWA)の名称を使い始めてからは、少なくとも王座の面では世界ヘビー級選手権が中心となっていったが、AWA以外ではその他の階級の選手権が認定されることもあった。
1936年夏、プロビデンスで24人参加の世界ジュニアヘビー級王座決定トーナメントが開催。8月4日にプロビデンス・オーディトリアムで行われた決勝では、『ドロップキック・マーフィー』ことドクター・ジョン・マーフィーがレス・ライアンを破って優勝、同地区認定初代世界王者に認定された。
マーフィーは同年11月、サルヴァドール・バルボ(後のNWA世界ライトヘビー級王者ジョニー・バルボ)に敗れるが、翌1937年2月に奪回。12月には、マヌエル・コルテスがマーフィーを破り王座奪取。コルテスは1960年代に同地区でUSおよび世界ヘビー級王者として活躍することになるフランク・スカルパだ。約1ヶ月後の1938年1月には、スティーブ・パッサスに敗れ王座から転落する。ここまでは全てプロビデンスでの王座移動だった。

(ドロップキック・マーフィー)
1941年から30年間、マサチューセッツ州アクトンでアルコール解毒療養所を経営。有名なパンクロックバンドの名称もその施設が由来となっている。
だがパッサスは、1938年9月末頃からコネチカット州ブリッジポートで、ジュニアヘビー級ではなく世界ライトヘビー級王者として出場し始める。
パッサスは1938年11月、ボストンで行われたサム・プライスの主催する興行でカーリー・ドンチンにジュニアヘビー級王座を奪われるが、ブリッジポートでは引き続きライトヘビー級王座を防衛。以降ジュニアヘビー級王座はボストン周辺を中心に防衛されるようになるが、プロビデンス出身のプライスがボストンでも興行をしていたことと関係している可能性がある。同王座は1939年6月、一度キャロル・クラウザー(カール・ゴッチとは別人)の手に亘るがすぐにドンチンが奪回。1939年9月、カナダのハリファックスでジョニー・イオバナ(サルヴァドール・バルボ)がドンチンを破り王座を奪回するが、1940年春にはジャッキー・ニコルズに王座が移動。

メーン州ポートランド出身で、ニューイングランドを本拠としながらも、後にオレゴンやカリフォルニアの西海岸、およびオハイオなどの各地においてジュニアヘビー級やライトヘビー級の王座を奪取。
1940年夏には、ニコルズがドンチンから奪回、その後ボストン周辺でチャック・モンタナが王座に君臨。後にボストン地区でブル・モンタナの名でヘビー級として長年活躍した選手だ。モンタナはボストン郊外のクインシーでニューマン・サベージというプロモーターが主宰していたユナイテッド・ステーツ・レスリング・アソシエーション(USWA)という団体から世界王者として認定。モンタナが数週間保持した後、同王座はケン・アックルスへ移動するが、1943年以降モンタナはポートランドを中心に防衛されていたニューイングランド地方ジュニアヘビー級選手権を数回におよび保持することになり、1960年代にはビッグタイム・レスリングが認定する東海岸ヘビー級王座やニューイングランド地方ヘビー級王座も奪取。
ケン・アックルスが保持していた世界ジュニアヘビー級王座は引き続きニューマン・サベージのUSWAが管理していたが、1941年春頃には何故か世界ライトヘビー級または世界ジュニア・ライトヘビー級などと呼称が曖昧になり、5月になるとライトヘビー級になっていた。5月20日クインシーにて、4年前の夏プロビデンスで開催されたトーナメントに優勝し初代王者に認定されたドロップキック・マーフィーがアックルスを破り、通算3度目の栄冠を果たすが、同年後半になると、ヘビー級転向のため王座は空位となった。

王座転落後、全米を股に掛け、選手としでのみではなく、テレビドラマやハリウッド映画、そしてブロードウェイミュージカルなどに出演し、更にはエド・サリバン・ショーなどのバラエティー番組にも出演するほど俳優として活躍。
間もなく米国も第二次世界大戦に突入したことが影響しているのか、1940年代中期以降のニューイングランドにおける世界ジュニアヘビー級選手権に関する情報は極端に少なくなっている。
1942年夏頃にはメーン州ビデフォードで再びジャッキー・ニコルスが王者として登場し、10月にはアイヴァン・ブラウンに敗れるが、それ以降のブラウンの防衛戦については殆ど記述が見当たらない。
1950年3月30日、ボストンから約30km離れたところにあるマサチューセッツ州ビレリカで、ロッキー・バロンがレオ・ジャスティンを破り王座を奪取、少なくとも1年近くは保持した。
1950年代前半には、ニューハンプシャー州ポーツマスで世界ジュニアヘビー級王座が何度か防衛されていたようで、エディ・マクニール、ゴージャス・ガス、セメント・ヒューイットらが保持。
1949年9月、ワシントンDCで同地区認定世界ジュニアヘビー級王座決定トーナメントが開始、12月の決勝でマービン・マーサーが勝利し王者に認定。1950年代に入ってしばらくすると、ワシントンDCからコネチカット州ブリッジポートあたりまでの全域がビンス・マクマホンとトゥーツ・モントのキャピタル・レスリング・コーポレーション(CWC)によって牛耳られることになるが、マーサーは引き続きCWCの地区であるニュージャージー州やペンシルバニア州で王座を防衛。そして、1958年にはブリッジポートやスタンフォードにも王者として登場するが、これがおそらく1963年のWWWF発足以前の最後のニューイングランドにおける世界ジュニアヘビー級王者の参戦かと思われる。
1970年代中頃には、ビッグタイム・レスリング閉鎖により、文字通りニューイングランド全域がWWWFの傘下となるが、1978年1月にニューヨークで同団体認定ジュニアヘビー級王座を奪取した藤波辰巳(現・辰爾)は、マディソン・スクェア・ガーデンやペンシルバニア州アレンタウンでのテレビマッチ、そしてその間にあるフィラデルフィアやニュージャージー州などでの防衛が中心だったようで、ニューイングランドでの記録は現在見つかっていない。
1958年のマービン・マーサー以降、次にニューイングランドにおいて主要ジュニアヘビー級王者が登場するのは、1982年のWWF王者タイガーマスクだが、その殆どがノンタイトル戦で、現在唯一見つかっている防衛戦は、結果は不明だが11月22日コネチカット州ハートフォード郊外のニューイントン高校での消防募金イベントにてチャーリー・フルトンが挑戦した試合だ。
1960年代以降、ジュニアヘビー級というのは米国の大半の地区において重要視されてこなかったが、ニューイングランドでは一足早く1950年代には既にその灯は消え去ろうとしていたようだ。
資料元:
- Wrestling-Titles.com
- Ken Ackles: From the Maritimes to Hollywood
- Boston Globe
- The Portsmouth Herald
- The Bridgeport Telegram
- Daily Advocate (スタンフォード地方紙)
