今年(2020年)3月、ニューヨーク州知事は、新型コロナウイルス感染拡大阻止のため、企業や学校などに対して、出勤や登校を禁止し、自宅にとどまらせることを義務付けると発表。
ニューヨーク市では、大勢の人々が病気により死亡。葬式ができないどころか、多くの遺体が市内にある島などに埋められたり、葬儀屋付近のバンの中に放置されていたり、混沌としていた。市内で医療関係で働いてる友達もいるが、彼女達の話を聞いても、患者だけではなく同僚も亡くなったりと、相当悲惨だったようだ。
自分が住んでいるのは郊外なので、市内とはかなりの温度差があり、比べ物にならないくらい平和だった。仕事も大幅に減ったが、飲食店がほぼ全て閉鎖または持ち帰りや出前のみになっていたので、外で飲み歩くこともなく、収入も下がったが支出も減った。
先週金曜日は9月11日。あの日から19年も経った。あの時も、この地域に住んでいる殆どの人達が、仮に直接の知り合いは大丈夫だったとしても、必ず周りに数人は、家族や友人知人を亡くした人達がいた。今回のコロナもその状況に似ている。亡くなられた方々やそのご遺族のことを想うと胸が痛くなる。
このブログについては、決して書くネタがないとか、外出自粛で書く気分になれなかったとか、そういうのではない。暇な時間が増えたということもあり、2、3年前からやり始めてはいたが、思い切ってこれまで集中できてなかったことに時間を費やすことにした。
プロレス選手権変遷史の原型を立ち上げて25年。その間、似たようなサイトが幾つか現れたりもしたが、長続きはしなかった。その中で、TitleHistories.com というサイトがあった。各王座の詳細や正確性はさておき、欧米のインディの小さいとこまで載せていたので、当時全体的な選手権の数の面では、自分がやってるサイトよりも多かったかもしれない。
そして10年前のこと。そのサイトが閉鎖していることに気付いた。ドメイン名の所有者とは、過去にも連絡を取り合ったことがあったので、ダメ元で結構な安値で売ってくれるように打診してみたら、「君ならきっと大切に使ってくれるはずだ。」との返事で、譲ってもらえた。自分名義で登録し、早速そのドメインからWrestling-Titles.comへの自動転送を設定。
だが数年前から、せっかくのこのドメイン名、プロレスだけに限定するのがもったいないと思い始めた。当初は、車や船などといった乗り物の譲渡証書を『title』ということから、乗り物や家などの所有者の履歴を調べるサイトを始めて商売することなど考えてみたが、車だけならそういう人気サイトは既にいくつも存在するし、他のものまで含めるとなると、法的にも色々面倒臭そうだったのでやめた。
その後しばらくして思いついたのが、プロレス以外の競技の王座変遷史を載せることだ。他の格闘技については、プロレスほど大好きって程ではないが、それでもテレビで時々やってると結局観てしまうので、全く興味がないわけでもなかった。
総合格闘技は、他の競技ほど階級が細かく分かれてないし、比較的新しく、インターネット世代に人気が出たということもあり、情報収集は簡単。
だが、ボクシングやキックボクシングになると、話は全く別。総合格闘技以上に階級も細かく分かれているし、昔と比べて増えている。
ボクシングの主要王座についてはウィキペディアで十分かもしれないが、第一次世界大戦以前の古い情報やマイナーな王座については、記録サイトとしてボクシング・コミッション協会から公認されているBoxRecにさえ載ってないものがある。
キックボクシングについては、日本での試合はかなり記録されて残っているが、英語圏では、プロレスほど人気がないせいか、試合の広告が新聞に載っていても、結果が載っていないことが多い。場合によっては、『世界選手権』と銘打ってるはずなのに、現地での新聞記事が全くないこともある。
ムエタイに関して言うと、タイ語が読めないのに調べようというのが無謀なのかもしれない。また、選手によっては、タイ語ではなく、カタカナでの表記しかわからないのも多い。
自分が『あしたのジョー』や『がんばれ元気』を読んでいたガキの頃は、ボクシングの世界王座を認定していた主要団体はWBAとWBCだけ。そのうちIBFが現れ、いつの間にかWBOと併せて世界4大団体になり、場合によってはIBOも5大団体の1つに数えられ、他にも世界王座を認定するマイナーなものも出てきた。
更には、主要団体が世界王座だけではなく、今ではインターナショナルやインターコンチネンタルといった、「プロレスのことをバカにできるんか?」と思わせるような選手権も認定している。そこに暫定王座や名誉王座的なものも加わる。WBAには、世界王者が他の主要団体の世界王座を同時に保持した際に授与されるスーパー世界王座というものもあり、1つの団体なのに世界王座が50近く存在する。そこに前述の準世界王座的なものを加えると、その3倍にも4倍にもなる。またWBAの場合は、EBU(ヨーロッパ)やOPBF(東洋太平洋)のようなWBC傘下団体とは違い、WBAアジアとかWBAオセアニアといった具合に、殆どの傘下団体にブランド名が付くので、WBAの名が付いた選手権は、地方王座を含めると数百あるわけで、今後の流れによったら、もしかしたら千を超えるかもしれない。
これがキックボクシングになると、ボクシングよりも体重階級が多いこともあり、更にはフルコンタクト、フリースタイル、ムエタイ、K-1など、ルール別の選手権が認定されている。現在世界最大といわれる選手権管理団体ISKAの場合、ルールが5種目あるので、男女合わせると世界選手権だけで最低150も存在し(その中の多くは長いこと空位だが…)、ISKAやWKA、WAKOといった老舗団体はボクシングのようにインターナショナル選手権も認定している。
そういった滅茶苦茶な状態ではあるが、長年プロレスの選手権史を研究してきた自分としては、何を血迷ったのか、需要なんてないかもしれないのを覚悟で、どこまで調べられるか、やってみたくなった。
…と思ったのが、約3年前。だが実際に情報を集め始めたのは約2年前で、TitleHistories.comのドメインでサイトを立ち上げたのが去年の3月、そしてサイトを色んなところでやっと公表し始めたのが今年の3月と、非常にゆっくりとしたペースだった。
何しろ選手権の数が膨大なので、この外出自粛期間は集中して研究できるいい機会だった。とはいえ、キリがないので暫定やインター何とかみたいなのは無視して、世界選手権と一部の地方王座に限定することにした。
他の競技については、プロレスの知識の1%もない自分だが、色々調べていると実際の試合も観たくなるわけで、結構楽しんでたりする。酷い時(?)には、WWEやAEWの生放送がつまらなかったら、録画したボクシングやEnfusion、Gloryなどを観ることもあった。もちろんYouTubeで昔の試合を見ることも増えた。さすがに大人気だったころのK-1の選手らのことは割と覚えてたようだ。また、昭和プロレスファンの間では有名なマーク・コステロやドン・中矢・ニールセンが、アメリカではある程度活躍した選手達だったことや、新日本プロレス『95闘強導夢BATTLE7』での格闘技トーナメント1回戦でスティングに敗退したトニー・パルモアが、実はPKAやWAKOの世界王者だったことなど、長年のキックボクシングファンでないと知らないのではないかと思われるようなことも発見。
決してプロレスほど深く追及するつもりはないし、特にキックボクシングやムエタイについては大半の選手権史がまだまだ未完成だが、この期間中でかなりの数を一挙に載せることができたので、後は少しずつでも研究し続けていくつもり。とりあえず英語のみになるけど。
そういった意味で、この期間中、決してプロレスから離れていたわけではないが、ちょっとした『浮気』のような状態だった気がする。
他のプロレス史研究者の方々も同様に時間が余ってたわけで、結構色々研究したらしく、大量のプロレス関係の情報を送ってくださっているので、それをサイトに追加していくのに、これまた時間がかかることだろう。
このブログも、決してネタ不足というわけではなく、書きかけの話題も色々あるので、そろそろまた以前のように頻繁に更新できればと思う。