テネシー州の世界王座(5)

世界タッグ選手権

カテゴリー: 各地区版世界選手権 , テネシー

米国南部に位置し、50州で16番目に人口の多いテネシー州。東西に広く、ケンタッキーアラバマなど8つの州に囲まれている。海や大きな湖はなく、東のアパラチア山脈と西のミシシッピ川に挟まれている。州都は1847年以来ナッシュビルで、長年州内ではメンフィスに次ぐ第二の都市だったが、2017年遂にメンフィスの人口を超え最大都市となった。1940年代から1970年代までの間、ニック・グラスはナッシュビルを本拠とし、ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)会員ロイ・ウェルチと共にアラバマやケンタッキー、アーカンソーといった南部一帯を牛耳った。ナッシュビルやメンフィス以外でも、ノックスビル、チャタヌーガ、ジャクソンなどでプロレスの興行が盛んで、1974年にはノックスビル周辺の地域がグラス派から独立する程だった。

詳しくは『最古のタッグ選手権』に書いてあるが、テネシー州周辺のタッグ王座の歴史は古い。

1948年に発足したNWAは、1990年代まで本部が正式に世界タッグ王座を認定することがなかったが、初期には特定の加盟地区で認定されていた王座が他地区で防衛されることも頻繁にあった。1950年代前半、サンフランシスコ地区世界王座を保持していたシャープ兄弟も全米各地で同王座を防衛。更には翌年2月に来日も果たし引き分け防衛を繰り返した。同じく1954年にはシカゴ版世界王座を保持していたレジー・リソワスキー(クラッシャー) & アート・ニールソン(アート・ネルソン)が西海岸を除く大半の地域において世界王者組として認定されていた。

だがその約10年前の1943年2月には既にテネシー州東部やケンタッキー州南部で南部タッグ王座が認定されていた。1944年秋になると、ロイとハーブのウェルチ兄弟が「7年間で400戦以上勝利、負けは3回のみ」という触れ込みでナッシュビルで世界タッグ王座を主張。約1年半保持した後、1946年3月にハーブが交通事故により長期欠場に追い込まれたため、12月に返上した。

その後ノックスビルで1948年1月にレン・ホール & ジン・ブレークリー、1952年9月にジャックとジョージのカーティス兄弟が世界王座を主張したが、いずれも単発的なものだった。テネシー州に世界タッグ選手権が定着するのは翌年のことだったが、同じ地区内でも各地での変遷が一貫性に欠けることも多く、更には南部王座とも混同されることもあったので、その歴史は複雑だ。

コルシカ・ジョー & コルシカ・ジーン
テネシー州のプロレス史を語るうえで欠かせないチームだ。
📷 – @jon_boucher

1953年8月、ノックスビルにアルとジョンのスミス兄弟が世界王者組として登場。9月1日にはナッシュビルで開催された王座決定戦でウェルチ兄弟を破り、南部王座も奪取。同王座はSWAからも正式に認定され各加盟地区で防衛された。以後、ノックスビルの世界タッグ王座は、南部王座と同時に防衛されたり、架空の王座移動を繰り返しながら、1957年1月にはコルシカ・ジョー & コルシカ・ジーンの手に渡る。

ジョン・スミス & アル・スミス
1953年9月1日 ナッシュビルでの南部王座決定戦に勝利後。

ナッシュビルでも4月末まではコルシカ兄弟が認定されていたが、なぜか5月後半にはジャッキー・ファーゴ & ドン・ファーゴが「先日マディソン・スクェア・ガーデンで奪取した」という触れ込みで世界王者組として登場。実は、ファーゴ兄弟はビンス・マクマホンとトゥーツ・モントがワシントンDCとニューヨーク市を中心に北東部にて運営していたキャピタル・レスリングで1月頃から世界王座を保持していたが、3月30日にガーデンでアントニーノ・ロッカ & ミゲル・ペレツに敗れた後も引き続き王座を主張していた。ノックスビルではコルシカ兄弟とファーゴ兄弟の両方が王座を主張していたので、これが混乱を招くことになった。7月23日、ナッシュビルでコルシカ兄弟がファーゴ兄弟を破ったので決着がついたかと思われたが、8月5日にアラバマ州バーミンガムで行われた再戦でファーゴ兄弟が奪取してからも、コルシカ兄弟は王座を主張し続けた。最終的には11月からコルシカ兄弟が南部王者組として認定されることとなった。

ジャッキー・ファーゴ & ドン・ファーゴ
ニューヨークやテネシー地区の他、ジョージア州、シカゴ、ボストンでも世界王座に君臨。

1960年代に入ると、中西部から南部一帯で世界タッグ王座を総なめにしたカールとクルトのブラウナー兄弟が登場。1960年春に約1ヶ月ほどテネシー州で世界タッグ王座に君臨したが、1964年6月に同地区にて再度王者組に認定されると、クルトの負傷による欠場まで1年間王座を保持した。

また1960年代後半には、日本プロレスから海外武者修行中の若手選手達がテネシー地区に転戦し、日本人の世界タッグ王者が続出した。1966年1月にヒロ・マツダ & 猪木寛至、10月にはトージョー・ヤマモト & プロフェッサー・イトー(上田馬之助)、1967年6月にはタマヨ・ソト & グレート・ヤマハ(星野勘太郎)、そして10月には後の『極道コンビ』大熊元司 & 小鹿信也がNWA世界王座に君臨。

大熊元司 & 小鹿信也

1971年春には再びブラウナー兄弟が世界王座に君臨し、以後1年間の大半を王者組として活躍するが、この時のクルトは2代目で元クルト・フォン・ストロハイムだった。

1974年3月、当時王座を保持していたインターンズが他地区に転戦すると、テネシー版NWA世界王座はほぼ自然消滅となり、その後も数組が認定されることがあったが、いずれも単発的なものだった。

ブラウナー兄弟とマネージャーのソウル・ワインゲロフ
ベルト持参で各地区を転戦しており、同じベルトがフロリダやテキサスでも世界タッグ王座に使われていたのもそのためだと思われる。他地区に移ると同時にベルトも持ち出されると、空位となった王座決定戦が新ベルトを巡って争われるということもあったようだ。

1977年2月、メンフィスのマッチメーカーだったジェリー・ジャレットがニック・グラスの方針に反対し自らの興行会社を設立。ジャレットは翌年夏、ミネソタ州を拠点としたAWAと提携し、10月2日にメンフィスでジェリー・ローラー & モンゴリアン・ストンパーがグレッグ・ガニア & ジム・ブランゼルの持つAWA世界王座に挑戦する予定だったが、王者組の欠場、そして挑戦者組の仲間割れにより、ローラーがストンパーと対戦することになり、反則勝ちを収めた。

また、ジャレットは1979年、コンチネンタル・レスリング・アソシエーション(CWA)の名で世界ヘビー級王座を新設するが、世界タッグ王座が認定されたのは1980年のことだった。7月28日、メンフィスで開催された初代王座決定トーナメント決勝でトージョー・ヤマモト & ジェリー・ジャレットがダッチ・マンテル & オースティン・アイドルを破る。その後アサシンズやファビュラス・ワンズ(スティーブ・カーン & スタン・レーン)らも奪取した同王座は1983年末まで認定され、1981年に消滅したヘビー級王座より2年以上長く続いた。

トージョー・ヤマモト & ジェリー・ジャレット
1970年代前半には南部タッグ王座を何度も奪取したテネシーの名コンビだったが、1977年にジャレットがニック・グラス派から分裂した際にはトージョーがグラス派に残ったため、解散せざるを得なかった。
その後ジャレットとグラスが和解すると、1980年には再びタッグを組み初代CWA世界王座決定トーナメントに優勝。ジャレットにとって現役最後の栄冠だった。
※ 写真は1974年頃とのこと。
📷 – Classic Memphis Wrestling

CWA世界王座封印後は、メンフィスでもAWA世界王座が防衛され、1984年1月24日にはクラッシャー・ブラックウェル & ケン・パテラにジェリー・ローラー & オースティン・アイドルが挑戦するが、反則勝ちで王座奪取にはならなかった。1987年10月にローラー & ビル・ダンディがソルダット・ユスタノフ & ダグ・サマーズを破り同王座を奪取。1988年2月には当時王座を保持していたミッドナイト・ロッカーズ(マーティ・ジャネティ & ショーン・マイケルズ)に、同系統のチームとしては元祖ともいえるロックンロール・エクスプレス(リッキー・モートン & ロバート・ギブソン)が挑戦するが王座預かりとなり、再戦でロッカーズが勝利。

1983年10月29日 テネシー州メンフィス
CWA世界タッグ選手権: アサシンズ vs ロバート・リード & ケン・レイパー
※ ベルトではなくトロフィーが使われていたようだ。

1983年にWWFがNWAを離脱し、本格的に全米侵攻を開始。翌1984年6月24日にはメンフィスでのテネシー州初興行を開催し、ジミー・スヌーカ & ティト・サンタナがディック・マードック & アドリアン・アドニスの保持するWWF世界タッグ王座に挑戦するが、惜しくも反則勝ちに終わった。

一方、NWA加盟地区やAWAとその提携団体は1984年、合同で『プロレスリングUSA』を旗揚げ。案の定政治的な問題により長続きせず翌年末には崩壊したが、テネシー州やケンタッキー州でも何度か興行が開催され、1985年にはNWA世界王座を保持していたロックンロール・エクスプレスがメンフィスやナッシュビルで3度防衛している。

プロレスリングUSA崩壊後はNWAのジム・クロケット・プロモーションズ(JCP)も本格的に全米進出を開始するが、NWAもWWFも世界タッグ王座がテネシー州内で防衛されたのは年に1度あるかないかという程度だった。WWF世界王座が州内で初めて移動したのも2001年4月になってからで、ナッシュビルでザ・アンダーテイカー & ケインがエッジ & クリスチャンから奪取。1988年にテッド・ターナーがJCPを買収しWCWを設立すると、1991年からはWCW王座を認定し始めるが、それまでNWA王座がテネシーで移動することはなく、WCW王座の移動も1995年9月の1度のみだった。

CWAは1989年、10年以上提携を続けたAWAと袂を分かちUSWAを発足し、一時的だがテキサス州ダラスのWCCWを吸収合併。ヘビー級は前年12月にAWAWCWA両世界王座を統一していたジェリー・ローラーが王者に認定されたが、タッグは1989年8月にテキサス州ダラスでジェフ・ジャレット & マット・ボーンからWCWA世界王座を奪取したスコット・ブラドック & カクタス・ジャック(ミック・フォーリー)が初代USWA世界王者組に認定された。だが翌週ジャレット & ボーンが奪回。以後ジャレットはボーンの他にもジェフ・ゲイロード、ジェリー・ローラー、ロバート・フラー(ロン・フラーの弟)、ブライアン・クリストファー(ジェリー・ローラーの息子)らと組み、合計14回王座を奪取。

https://youtu.be/_f54TedSWpI?t=800
1991年1月にはファビュラス・ワンズ(スティーブ・カーン & スタン・レーン)が再結成するが、悪役に転向しUSWA世界王座を巡ってジェリー・ローラー & ジェフ・ジャレットと短期間ながら抗争した。

1991年から1993年にかけては、ムーンドッグスが数名のメンバーが色々と組み合わせを変えながら、ジェリー・ローラー & ジェフ・ジャレットやロンとドンのハリス兄弟らとUSWA世界王座を巡って抗争。

1993年11月には、J・C・アイスことジェイミー・ダンディ (ビル・ダンディの息子)とウルフィー・Dの『PG-13』がジェフ・ジャレット & ブライアン・クリストファーを破りUSWA世界王座を奪取。PG-13は1997年に団体が閉鎖するまで合計15回同王座に君臨。その間、NWA世界王座をかけたロックンロール・エクスプレスとダブルタイトルで対戦したり、WWFやECWといった他団体の世界王座にも挑戦した。

フレックス・カバナ & バート・ソイヤー
1996年6月、空位となっていたUSWA世界王座決定トーナメントの決勝戦でブリックハウス・ブラウン & レジー・B・ファインを破り王座を奪取。
現在全米で最も人気のある元プロレスラーと言っても過言ではないザ・ロックことドウェイン・ジョンソンの初栄冠、WWE以外で奪取した唯一の王座だ。

2000年10月14日、ナッシュビルでNWA52年記念大会が開催され、バッド・アティトゥード(リック・マイケルズ & デビッド・ヤング)がエアー・パリス & キャシディ・オライリーを相手にNWA世界王座を防衛。12月9日には同じくナッシュビルでパリスがロブ・ウィリアムスと組みバッド・アティトゥードから王座を奪取するが、NWA副会長ビル・ベーレンスはノンタイトル戦だと主張したため、ナッシュビルのみでの王座移動となった。22日にバッド・アティトゥードが奪回。

2001年3月、WCWの商標をWWFが買収。しばらくWWFによる独占が続くと思われたが、翌2002年5月ジェリー・ジャレットはNWAと提携し、息子のジェフと共にナッシュビルを本拠とした新団体TNAを発足。NWAの世界ヘビー級とタッグ王座がTNAの管理下となり、ジャレットは毎週ナッシュビルからのPPV生中継を開催した。以降2004年9月にTNAのテレビ収録がフロリダ州オーランドに移るまでナッシュビルでNWA世界王座の防衛戦が続けられた。2007年5月にNWAがTNAとの契約を解除した後もテネシー州内に幾つか加盟団体が存在したが、タッグ王座の防衛戦は少なかったようだ。

2015年10月10日、テネシー州西部のダイヤースバーグで、ヒートシーカーズ(エリオット・ラッセル & マット・シグモン)が、3ウェイ戦でNWA世界王者組キラー・エリート・スクワド(デイビーボーイ・スミス・ジュニア & ランス・アーチャー)とイルミナティ(クリス・リチャーズ & チェース・オーエンズ)を破り王座奪取。2017年10月、NWA世界王者組として来日予定だったヒートシーカーズだが、同年5月にNWAの商標を買収していたビリー・コーガンが9月末で加盟団体制度を終了し、タッグ王座も空位となったため、10月10日に東京で行われた興行では『NWA』の名称を使うことができなかった。

2017年、TNAはカナダのアンセム・スポーツ・エンターテイメントに買収されインパクト・レスリングに改称。主にフロリダ州オーランドでのテレビ中継が続いたが、会社の本拠はナッシュビルにあり、2020年のCOVID-19によるパンデミックの際にも主にナッシュビルから試合が中継され、何度も同地で世界王座が移動した。

また、NWAは2日間興行のトーナメント『クロケット・カップ』を2022年3月にナッシュビルで開催すると発表。これを書いている時点ではラ・レベリオン(ベスティア666 & メカ・ウルフ)が世界王座を防衛するのか、またはトーナメントに参加するのかは不明だが、ROH世界王座を保持するジェイとマークのブリスコ兄弟と共に同大会に出場することが決定している。インパクト世界王座同様、今後もNWA世界王座の防衛戦がテネシー州内で頻繁に開催される可能性も少なくはない。


資料元:

  • Wrestling-Titles.com
  • The Tennessean (ナッシュビル)
  • Commercial Appeal (メンフィス)
  • The Knoxville Sentinel
  • The Daily Times (チャタヌーガ)

Credits for pictures and images are given to these sites/people.

Copyright © 1995-2026 puroresu.com. All rights reserved. Privacy Policy