今年に入って、二人の伝説のレスラー達が他界した。
2月1日には、ジャック・ブリスコが68歳、そして昨日4月14日には、ジン・キニスキーが81歳で。
二人とも、元NWA世界ヘビー級チャンピオンで、ジャイアント馬場とも縁のある選手達。自分がプロレスを見始めた時には全盛を既に越えていて、ブリスコはまだ弟ジェリーとのタッグで活躍していたが、キニスキーの試合はリアルタイムでは見たことがない。
ブリスコは、学生時代にアマチュア・レスリングで活躍し、アメリカ先住民としては初めてNCAA選手権を獲得。プロ転向後も、正統派としてトップに君臨。そして、1974年12月、馬場が日本人で初めて当時世界最高峰と言われていたNWA世界王座を奪取した時の相手もブリスコだった。ブリスコは、この馬場に奪われた数日間を除くと約二年半に亘り、同王座を保持した。
一方キニスキーは、タフさと気性の荒さを売り物にし、日本では『荒法師』とニックネームがついていた。
1961年には、バーン・ガニアを破りAWA世界ヘビー級選手権を約一ヶ月保持。
1966年1月に、今尚世界最高だったと言われるルー・テーズを破りNWA世界王座を奪取。
実際に気性も荒く、世界王者時代の1968年夏、NWA年次総会にて、会員のプロモーター達を相手に堂々と、『ギャラをピン撥ねするばかりのヒモ野郎共』と罵り、翌年2月ドリー・ファンク・ジュニアに世界王座を明け渡す。3年強、世界王者に君臨した。
馬場が自身のベストバウトに選んだのが、1967年8月、大阪球場でキニスキーを相手にインターナショナル・ヘビー級選手権を時間切れ引き分けで防衛した試合だった。1970年には、一度馬場から同王座を奪取したこともある。
またキニスキーは、1999年1月に馬場が亡くなった後も、同年5月2日、東京ドームで行われた馬場の『引退試合』や、2002年1月に行われた全日本プロレス30周年記念セレモニーを含め、何度か来日している。
二人の偉大な功績に感謝しつつ。
RIP…