幻の黒人世界王者

壁はまだまだ厚い。

カテゴリー: 世界ヘビー級選手権 , NWA , ニューヨーク

プロレス界初の黒人世界王者は、1954年、イギリスのアバディーンでノーマン・ウォルシュを破り、世界ミッドヘビー級王座を奪取したブラックブッチャー・ジョンソンという選手だと言われているが、今回は、それから8年後の話。
※ 後に、それより17年前の1937年に、別の黒人選手が世界ヘビー級王者に認定されていたが判明。詳しくはこちらを。

1962年8月2日、カナダのトロントにて、NWA世界ヘビー級選手権試合が行われた。なんと、米国北東部で売り出し中で前年から何度も王座挑戦していたとはいえ、まだデビュー3年目のブルーノ・サンマルティノがバディ・ロジャースを破り王座を奪取。

だが、サンマルティノは王座を拒否した。試合中にロジャースが股間を負傷していたことが判明し、そんな状況で王座を奪取したくはないという、所謂スポーツマンシップが理由だった。

トロントのプロモーターはフランク・タニーだったが、『幻の王座移動』となったこの試合結果は、ニューヨークを中心とした北東部を牛耳り、世界王座をほぼ独占していたキャピタル・レスリング・コーポレーションのトゥーツ・モントやビンス・マクマホンの案だと言われている、ロジャースとサンマルティノの間で起こった『出来事』だった。

だが約2週間後の18日、似たようなことが繰り返された。

場所はニュージャージー州ニューアークで、プロモーターはウィリー・ギルゼンバーグ。翌年のWWWF発足から1978年の他界まで、WWWFの『会長』だった人物だ。

挑戦者は、当時ロジャースとの抗争が人気だったボボ・ブラジル。

当日も、ブラジルがロジャースを破り、一度は王座を奪取したかと思われたが、ロジャースが股間を負傷していたため、ブラジルは王座を拒否。

ここまでは、トロントでのサンマルティノ戦と同じ流れだ。

しかしギルゼンバーグは、医師による検査の結果ロジャースの股間負傷は虚言だということが判明したとし、9月に入るとブラジルの王座奪取を正式なものだと発表した。6日のテレビ中継でそう発表されたという説もあるが、少なくとも16日のニューアークの新聞ではブラジルが王座奪取したと報じられている。

ニューアークのみでのこの王座移動劇だが、NWA本部は勿論、モントやマクマホンからの許可もなく、現地での再戦による大きな収益を見込んだギルゼンバーグとロジャースにより決行されたという説もある。

圧力があったせいか、結局10月に入ると間もなくギルゼンバーグも王座移動を無効とし、同時にCWCはブラジルをUSヘビー級王者として認定することで辻褄を合わせたようだ。以前は、10月30日、オハイオ州トレドでロジャースがブラジルを破り王座を『奪回』したという説が強かったが、実際には、トレドの新聞の広告ではロジャースが世界王者だと紹介されており、ブラジルを相手に防衛したに過ぎない。

だが、何故8月18日の試合から、王座移動発表が3週間近くかかったのか。あくまで推測だが、8月31日に起きた出来事が原因だからではないだろうか。

オハイオ州コロンバスの試合会場の控室で、ロジャースがカール・ゴッチとビル・ミラーから暴行を受けたという、プロレスファンの間では有名な事件だ。これについては、多くの日本語の書物やサイトなどで何度も書かれていることだと思うので、とりあえずここでの詳細は控えさせていただくが、ロジャースは左腕を負傷、当日予定されていたジョニー・バレンドとの防衛戦をキャンセルしざるを得なかった。ハフトは、当日の収益金の8千ドルのうち、2千5百ドルを払い戻したという。ちなみに、代打でバレンドと試合をしたのは、米国修行中の馬場正平。

結果、9月の試合の多くをロジャースは欠場。これが理由で、ギルゼンバーグはブラジル王座奪取の発表に踏み切ったのではないかと思われる。

ただでさえ北東部のプロモータ達による世界王座独占に振り回されていたNWA本部だが、まだ法的に人種差別が許されていた南部諸州にも会員が多く、いくらニューアーク周辺限定の短期間の話とはいえ、権威ある世界王座を黒人選手に奪取させるのは大反対だったはず。NWA本部が、それまで以上にロジャースを王座から引きずり下ろすことに意欲を持ち始めた原因となったのではないかと思われる。

米国にて、初めて正式に黒人選手が主要世界ヘビー級王座に就くのは、翌1963年8月、ロサンゼルスでベアキャット・ライトがフレッド・ブラッシーからWWA王座を奪取した時だったが、以後四半世紀近く、1988年3月にダラスでアイスマン・キング・パーソンズがケリー・フォン・エリックを破りWCWA王座を奪取するまで、主要世界王座を黒人選手が保持することはなかった。

1989年12月にはメンフィスでキング・コブラがジェリー・ローラーを破り統一世界王座(USWA)を、1992年8月にはボルティモアでロン・シモンズがビッグ・バン・ベイダーを破りWCW王座を、1998年11月にはセントルイスでの王座決定バトルロイヤルに優勝した、ロッキー・ジョンソンの息子ロッキー・メイビア(ザ・ロック)がWWF王座をそれぞれ奪取。

だが、NWA王座に関しては、TNA提携時代の2002年8月、ナッシュビルでケン・シャムロックを破って奪取したロン・キリングス(R・トゥルース)のみである。

いずれの団体も、歴史的に人気がある黒人選手が多かった割には世界王座までたどり着いたのは少なく、NWAだけではなく、AWAもWWAも、米国の主要王座だというのに、黒人選手達よりも日本人選手達の方が近いところにいたというのは、皮肉で悲しい話だ


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