ダラス角力史 – 序章

なぜダラスなのか。

カテゴリー: ダラス角力史

自分は、生まれ育った日本での年月以上をニューヨーク周辺で過ごしているが、その次に長く住んだのが、6年間いたダラス近郊。実際には、ダラスまで車で40~50分かかるデントンという町だ。

ミネソタ州のミネアポリスとセントポールが『ツインシティ』と呼ばれるのと似たように、ダラスと、西に約30マイル離れたところにあるフォートワースで、『メトロプレックス』と呼ばれる。デントンもそれぞれの街から35~40マイル程離れていて、3つを併せて『ゴールデントライアングル』と呼ばれることがある。とはいえ、そういう言い方をしているのは、おそらくデントンの人達だけだろう。(笑)

テキサスは米国で2番目に広い州で、その面積は67.8万km²。日本(37.8万km²)は勿論、フランス(64万km²)よりも広い。カリフォルニア州でさえプロレスではサンフランシスコを中心とした北部と、ロサンゼルスを中心とした南部の2つの地区に分かれていたが、テキサスは更にそれを上回る5地区に分かれていた時期もあった。

1960年代後半から1980年代までは、ダラスも米プロレス界の主要地区の1つだった。『テキサスの思い出』シリーズでも書いているように、自分が住んでいたのは、全盛期を過ぎた数年後のダラス地区だったわけだが、それでも色々とプロレスに所縁のある人達との関わりができたし、自分が卒業した大学には、かつてケビン・フォン・エリック、デビッド・フォン・エリック、そしてスティーブ・オースティンといったテキサスを代表する選手達がいたという点からも、個人的に思い入れの強い土地だ。

基本的に、分析のようなことは少なく、事実だとされることを挙げていく程度になると思うが、『鉄の爪』一家の時代以外については、あまり日本で紹介されてこなかったダラスのプロレスについて、少しずつでも書いていこうと思う。


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