約20年前だったろうか。ある日突然、『ウィルマ・ベイヤー』という名の人からメールが届いた。
「『Beyer』って、もしかして…?」って思いながら、メールを開くと、「Hisa-kun,」という、まるで昔から自分のことを知ってる人かのような出だしだった。
内容は覚えてない。確か、自分がやってる、英語で日本のプロレスを紹介するウェブサイトを見つけたのか、それか当時自分が入っていたプロレス関係の英語のメーリングリストに書いたことについて個人的に返信してくれたか、どちらかだと思う。
そして最後には、「The Destroyer」と書いてあった。
あの頃は、自分以外に日本のプロレスに関する英語のウェブサイトをやってる人間が殆どいなかったので、とにかく色んな人達から連絡が来てた。
例えば、ドリー・ファンク・ジュニア。当時はコーチをするため定期的にフロリダからWWFの本社のあるコネチカット州スタンフォードに来てたので、食事に誘ってくれたこともあった。
また、若手時代に海外修行中の際、米国女性と結婚してこどもができて、そのまま家族を残して日本に帰国していった選手達は何人もいたようだが、そのこども達から、「父を探してます」という依頼っぽいのも何度か来た。
そんな中のデストロイヤーさんからのメール。驚くことでもなかったのかもしれないが、やはり嬉しかった。
それからメールのやり取りは続いたが、今よりもインターネットでニュースが飛び交うのが遅い時代、「吉村道明が亡くなったのは本当か?」と尋ねられたこともあった。
実はそれより何年か前、岡山県の山奥で自分が初めてプロレス観戦した時にも、会場の外にいたんで、ちょっとだけ話したことはあったが、もちろんそんなこと覚えてるわけがない。だが、初観戦の会場で初めて目にしたのがデストロイヤーだったのは、これまた不思議な縁を感じる。
2004年だっただろうか。普段は同じニューヨーク州でも、うちから車で2時間くらいかかるとこで行われていた『プロレスの殿堂』のイベントが、ファンドレイジングか何かで、うちから結構近いとこで開催だというんで行ってみた。そこで(改めて)実際にベイヤーご夫妻と会うことができた。
『ウィルマ』というのは、そんなにたくさんある名前ではないが、実は前の奥さんもウィルマという名前らしい。
ちょっとだけ挨拶して、その後自分は他の人達と飲んでたが、途中トイレに行ったら、誰かが既に使ってたらしく、ドアの前で先にデストロイヤーさんも待ってて、自分の顔を見るといきなり膝を降ろし、手のひらを上にして前に突き出して、日本語で、
「お控えなすって。拙者、姓は『ザ』、名は『デストロイヤー』と申しやす!」
とか始めた。当然周りにはそれが判る人がいなく、自分一人が、「ラストネームが『ザ』っすか!?」みたいな感じで大ウケしてたら、
「昔、せんだみつお達とテレビやってた時に、こういうのやらされて、それ以来覚えてんだよ。」
と嬉しそうに語ってくれた。
その後もメールでの連絡は続き、時々情報交換することもあった。例えば、「高千穂(明久)はどうしてるの?」って尋ねてきたので、ザ・グレート・カブキがやってる店の連絡先を送ったり、また、テレビ番組制作会社から力道山やジャイアント馬場について何度か自分のとこに問い合わせがあったが、そういう時は本人に了承を得てデストロイヤーさんの連絡先を渡したりもした。
2008年秋、和田アキ子がハーレムのアポロシアターでコンサートをするというんで、何人かで行ったが、会場に向かう途中になって、デストロイヤーさんに伝えるのを忘れてたことに気付いた。とはいえ、呼んですぐ来れるような距離には住んでないし、あの人くらいの有名人になると、別に自分なんかじゃなくても、マスコミ関係の誰かが伝えてくれるだろうと思ってはいたが、それでも心配になった。
だが、コンサートの途中、曲と曲の合間に、いきなりアッコさんが、「あ!!!! デストロイヤー!!!」と叫んだ。覆面を付けたままステージに歩み寄り、マイクを取って「ワダアキコ、イチバン!!!」と一言。
どうせコンサートの後は旧交を温めるとかで、多分会えないかな…とか思ってたら、自分が会場を出たすぐ後でウィルマさんも出てきたので挨拶しに行った。間もなくデストロイヤーさんも出てきて、「いつも色々情報ありがとうな。」ってな感じで声をかけてくれたが、直後に日本のテレビ局っぽい人達が取材しに来たんで、あまり話せなかった。真夜中のハーレム、どのタイミングで覆面を脱いだのかが、気になるところだ。
結局あれが最後になった。その後facebookでウィルマさんとつながったが、いつでも連絡できるような気分にさせられるせいか、以前のようにわざわざメールで挨拶するということが減り、殆ど連絡を取らなくなった。SNSってのは、確かに便利ではあるが、多くの面において『麻痺』させることがあるのも事実。今後は更に気を付けねば…。
1960年代後期には、ドクターXという名で額に『X』と書いてある覆面をかぶって活躍したこともあったが、やはり多くのファンにとっては、デストロイヤーの方が圧倒的に馴染みがある。実際には、『The Intelligent, Sensational Destroyer』とか言うらしいんで、それを日本語に訳すると、今回の題のような感じになるんだろうか。
だが、力道山他界から数年後に生まれた自分にとっては、力道山のライバル達の全盛期をリアルタイムで見たわけではなく、『ザ・デストロイヤー』というと、『魔王』とか『破壊』という言葉が似合わない、『陽気な外国人』の象徴みたいな人だった。
プロレスだけでなく、日本の文化における偉業に感謝しつつ。
RIP…