米国南部に位置し、50州で16番目に人口の多いテネシー州。東西に広く、ケンタッキーやアラバマなど8つの州に囲まれている。海や大きな湖はなく、東のアパラチア山脈と西のミシシッピ川に挟まれている。州都は1847年以来ナッシュビルで、長年州内ではメンフィスに次ぐ第二の都市だったが、2017年遂にメンフィスの人口を超え最大都市となった。1940年代から1970年代までの間、ニック・グラスはナッシュビルを本拠とし、ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)会員ロイ・ウェルチと共にアラバマやケンタッキー、アーカンソーといった南部一帯を牛耳った。ナッシュビルやメンフィス以外でも、ノックスビル、チャタヌーガ、ジャクソンなどでプロレスの興行が盛んで、1974年にはノックスビル周辺の地域がグラス派から独立する程だった。
現在自分の調査で判明している範囲では、最初にテネシー州で世界ジュニアヘビー級王者に認定されていたのはパット・オショッカーだが、1940年6月、ナッシュビルから80km離れた、ケンタッキーとの州境にあるクラークスビルという町で行われたノンタイトル戦に出場しただけだった。それに自分より体重の軽いフィニス・ホールに敗れたが、そのホールも特に王者を名乗ることがなかった。
テネシー州で本格的に世界ジュニアヘビー級王座が防衛されるようになったのは1942年5月。メル・ピータースが王者として地区に参戦したのだが、どういった経緯で王座を奪取していたのかは州内でも情報が様々だった。例えば、同州ジャクソンの地元紙では5月14日、「デュード・チックを破ったベン・シャーマンから王座を奪取」とされていたが、ノックスビルの地元紙5月28日号では「15ヶ月前にジョージ・ベッカーから奪取」、更にナッシュビルの地元紙5月31日号では、「7ヶ月前にオクラホマ州タルサでベッカーから奪取して以来8度防衛」となっており、全く一致していないことから、架空の王座奪取だということは明確だ。
ピータースは地区参戦間もない6月13日、ナッシュビルでガスト・ジョハンセンに敗れる。10月13日にはハーブ・ウェルチがジョハンセンを破り王座を奪取する。だがこの頃、一時的ながら地区内で王座が分裂する。ノックスビルでは引き続きジョハンセンが認定されるが、10月23日に予定されていた防衛戦を欠場したことから翌日剥奪。王座決定トーナメントが開催され、優勝したハーブ・ウェルチがノックスビルでも正式に認定された。同地の地元紙1944年3月20日号には、ウェルチがNWA(アソシエーション)からも認定とされていた(実際にNWAが認定していたのはレロイ・マクガーク)。
また、ケンタッキー州ルイビルでは1943年3月、「マイク・チャコマから奪取した」という触れ込みでロイ・ウェルチが認定されていたが、3月9日、チャコマが『奪回』。そして僅か一週間後の16日、ハーブ・ウェルチがチャコマを破る。
その後ハーブ・ウェルチは1943年秋から翌年春頃まで覆面選手イエロー・スコーピオンと王座を巡って抗争。1942年10月の初栄冠以来、大半の期間を王者として活躍していたウェルチだったが、1946年3月1日、交通事故に遭い長期欠場を余儀なくされ、5月1日付で王座を返上した。

1940年代から1980年代までテネシー州とアラバマ州を牛耳ったウェルチ一族の一員。
他にも世界タッグ、南部ジュニアヘビー級、南部タッグ他多くの王座を奪取した。
6月11日にナッシュビルで開催された王座決定トーナメント決勝ではテックス・ライレーがガス・ジョンソンを破り優勝。1年以上保持した後の1947年7月22日、復帰したハーブ・ウェルチに敗れる。
翌1948年6月にはグリーン・シャドーがウェルチから王座を奪取するが、約1ヶ月後にはウェルチに奪回され短命に終わる。
同じく1948年6月、22年に亘りメンフィスでプロモーターとして活動していたチャーリー・レントロップからレス・ウルフが興行権を買収。ウルフはオクラホマ州のレロイ・マクガークと提携していたため、メンフィスではNWA(アソシエーション)世界王座を保持していたマクガークが認定されたが、州内の他地区では引き続きハーブ・ウェルチが認定。それどころかウェルチはテネシーやアラバマ、ケンタッキーだけではなく、南北カロライナおよびジョージア、フロリダといった南東部一帯で世界王者として認定され防衛を続けた。
ハーブ・ウェルチは1949年7月、ナッシュビルでブラック・ファンタムに敗れ王座から転落。ファンタムの正体は、後にレジー・リソワスキーとのタッグでシカゴ地区認定のNWA世界王座を全米各地で防衛することになるアート・ネルソンだ。1950年にはファンタムとテックス・ライレーの間で王座を巡って抗争が勃発。ナッシュビルだけでなくチャタヌーガやキングスポートでも王座移動劇が繰り広げられた。
1949年11月、ロイ・ウェルチのNWA(アライアンス)加盟が承認された。NWAは世界ジュニアヘビー級王者としてビリー・ゲルズを認定していたが、ウェルチとニック・グラスはナッシュビル地区で引き続き独自の王座を認定。
一方、メンフィスでNWA(アソシエーション)世界王座を防衛していたレロイ・マクガークは、1949年12月アイオワ州デモインでNWA(アライアンス)世界王者ビリー・ゲルズを破り王座統一を果たすが、翌1950年2月、交通事故で視力を失い引退。NWA(アライアンス)は、長年の功績を称えるという意味も含めてマクガークに世界ジュニアヘビー級王座を管理する権限を与えた。マクガークが本拠とするオクラホマ州タルサで新王座決定トーナメントが開催され、11月13日に行われた決勝ではバーン・ガニアがサニー・マイヤーズを破り優勝。
1951年4月下旬にはアリ・パシャがテックス・ライレーから王座を奪取するが、翌月にはNWA世界王者バーン・ガニアがナッシュビルで王座を防衛し始める。それに合わせてか、この頃からパシャは、ノックスビルを中心としたテネシー州西部では南部王者、ケンタッキー州西部では中南部王者として紹介されるようになった。
最終的には1951年5月24日ケンタッキー州パドゥーカでガニアがパシャを破り、事実上テネシー地区認定世界王座を統一したのだが、翌25日ノックスビルでは、テックス・ライレーがパシャから南部王座を奪取。28日の地元紙には、NWAがテネシー州においてもガニアを世界王者、ライレーを南部王者に認定するという記事が掲載された。

テネシーでは世界ライトヘビー級王座も奪取。
また、レン・ロッシ―とのコンビで幾度となく南部タッグ王座に君臨したが、ディック・ベイヤー(ザ・デストロイヤー)やエディ・ゴセット(エディ・グラハム)と組んで同王座を奪取することもあった。
ガニアは約1年間保持した後、1951年11月19日メンフィスでダニー・マクシェーンに王座を明け渡す。1年9ヶ月後の1953年8月12日、同じくメンフィスで元ロサンゼルス版世界ヘビー級王者バロン・ミシェル・リオーニがマクシェーンを破り王座を奪取し、1955年4月11日にオクラホマ州タルサでエド・フランシスに敗れるまで1年8ヶ月王座を保持した。2度メンフィスで長期政権につながる王座移動があったというのも、現地プロモーターのレス・ウルフがレロイ・マクガークと提携していたからだろう。
1951年から南部ジュニアヘビー級王座を認定していたナッシュビル地区でもNWA世界王座の防衛戦が頻繁に開催された。1956年4月にはオクラホマ州タルサでマイク・クランシーがエド・フランシスから王座を奪取し、1957年3月26日ナッシュビルでフレッド・ブラッシーの挑戦を受ける。ブラッシーはクランシーをフォールし、一度は新世界王者誕生かと思われたが、フォールする際にレフリーの目を盗んで自分の足をロープにかけていたところをリングサイドにいたテネシー州体育協会の代表者に見つかり、試合後王座は預かりとなった。2週間後の4月9日に行われた再戦でクランシーがブラッシーを破るが、同年11月12日、同じくナッシュビルでの対ブラッシー戦後再度王座預かり。クランシーは翌週19日の再戦に勝利しブラッシーとの決着をつけた。
1957年6月には、ロイ・ウェルチがレス・ウルフからメンフィスの興行権を買収。これでテネシー州全域がウェルチとニック・グラスの傘下となった。
1958年2月にアンジェロ・サボルディがマイク・クランシーから、そして1960年7月にダニー・ホッジがサボルディから王座を奪取してもテネシー州での防衛は続き、南部王者らが挑戦した。

テネシーおよびアラバマ地区、そしてオクラホマを中心とした中南部地区においてジュニアヘビー級とタッグ王座を総なめ。
ナッシュビルでは世界王座を巡ってフレッド・ブラッシーと抗争を展開した。
だが、1966年から1974年までの間のテネシー州内での世界王座防衛記録が今のところ全く見つかっていない。この期間中のダニー・ホッジによるオクラホマ州やルイジアナ州といったレロイ・マクガークの中南部地区以外での防衛記録が少ないのも事実だ。1973年12月にホッジを破ったケン・マンテルもまた1974年のテネシーでの防衛記録が見つかっておらず、1975年1月下旬にメンフィス、ナッシュビル、ノックスビルおよびケンタッキー州ルイビルの4か所で予定されていたダニー・ホッジとの防衛戦も全て不出場のため、ホッジが代理選手を相手に試合する羽目となった(1月25日ミズーリ州ジョプリンでの対ロケット・モンロー戦で負傷した可能性あり)。
尚、1974年11月にはロン・フラーがニック・グラスの傘下だったジョー・カザナからテネシー州東部ノックスビルの興行権を買収し、サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)を旗揚げした。とはいえ、フラーの本名はロナルド・ウェルチで、ロイ・ウェルチの孫だ。ナッシュビル地区から分裂する結果になったが、共に同じNWAの加盟地区でもあり、相変わらずテネシーやアラバマにおいてウェルチ一族の息がかかっていたことには変わりなかった。
1976年12月にネルソン・ロイヤルがロン・スターを破りNWA世界王座を奪取すると、1978年10月頃にセミリタイアするまで、テネシー州全域やケンタッキー州ルイビルで頻繁に王座を防衛。その頃、ロイ・ウェルチの健康状態が悪化しており、メンフィスのマッチメーキングを傘下選手だったジェリー・ジャレットに任せていたのだが、1977年9月になるとジャレットがニック・グラスに反旗を翻し興行戦争を仕掛け圧勝。その結果、メンフィスがグラスの手から離れることとなった。だがロイヤルはメンフィスでの防衛を続け、むしろグラスのお膝元であるナッシュビルでの試合数が減っていった。1979年夏にはジャレットとグラスが和解し、ナッシュビルに再びメンフィスの選手達が出場するようになった。

テネシー州で頻繁に防衛するが、1978年末頃になると試合もしなくなり、翌年10月に来日し国際プロレスで防衛した際には物議を醸した。
1980年3月にNWA世界王座を奪取したレス・ソントンは4月23日ナッシュビルで日本でもお馴染みのジプシー・ジョーを相手に防衛し、その後ロイヤル同様メンフィスやノックスビル、そしてケンタッキー州でも防衛していく。
同じく1980年、ロン・フラーがノックスビルから一時的に撤退しSECWの本拠をアラバマ州バーミンガムに移すと、短期間ながらノックスビルにジム・クロケット・ジュニアのミットアトランティック地区が進出。翌1981年にはボブ・ウィンダム(ブラックジャック・マリガン)とリック・フレアーがクロケットの協力を得てサザン・チャンピオンシップ・レスリング(SCW)を旗揚げ。約1年半という短命団体だったが、その間1981年9月にはフロリダ州オーランドでジェリー・ブリスコがレス・ソントンからNWA世界王座を奪取し、翌10月SCWノックスビル大会での再戦でソントンが奪回した。
1982年5月に静岡でソントンがタイガーマスクに敗れると、同王座は新日本プロレスに定着し、テネシー州はおろか米国内で防衛されることさえなくなった。
だがソントンは1983年11月、「フィリピンのマニラで開催されたトーナメントで優勝」したとし、ジョージア地区で再び王者を名乗り始める。12月19日にはCWAメンフィス大会でスタガー・リーを相手に防衛戦が予定されていたが欠場した。翌1984年7月にWWFがジョージア地区買収すると、新日でジュニアヘビー級、そしてメキシコのUWAでライトヘビー級王座が認定されていたにも関わらず、短期間ながらソントンを(その時によって適当に)ジュニアヘビー級またはライトヘビー級王者として紹介していた。
1987年11月、ジム・クロケット・プロモーション(JCP)はサウスカロライナ州コロンビアで空位となっていたNWA世界王座の決定戦を開催。ネルソン・ロイヤルがデニー・ブラウンを破り3度目の栄冠を果たすが、もはやこの頃の同王座は前座用のものに過ぎなかった。ロイヤルは1988年3月にノックスビルで王座を防衛するが、4月頃JCPを脱退し、2月にロン・フラーがノックスビルで旗揚げしたばかりのUSAチャンピオンシップ・レスリングに参戦。引き続き世界ジュニアヘビー級王者を名乗り、夏頃までスコット・アームストロングと王座を奪い合い、翌1989年春に引退した。
1990年3月、メンフィスを本拠としたUSWAではケン・ウェインを初代ジュニアヘビー級王者に認定。11月に同地でダニー・デービスがウェインを破ると、USWAが定期的に興行をしていたテキサス州ダラスやケンタッキー州ルイビルでも防衛。デービスは1991年に来日し、9月にはW★INGの三重県四日市大会で戸井マサルに敗れ王座から転落するが、1週間後には東京で奪回。
ノックスビルでは、1992年にスモーキーマウンテン・レスリングが旗揚げするが、世界王座ではなく、かつて同地を本拠としていたSECWが認定していた選手権にちなんでUSジュニアヘビー級王座を認定した。
一方、メンフィスのUSWA世界王座はダニー・デービスが保持したまま1994年に封印。USWAも1997年11月に閉鎖した。
2000年10月、ナッシュビルでNWAの52周年記念大会が開催され、当時世界ジュニアヘビー級王座を保持していたトニー・コジナをビンス・カプラックが破り奪取。
2004年10月には、カナダのウィニペグで開催されたNWA56周年記念大会でジェイソン・ランブルが3度目の世界王座栄冠。翌2005年8月にはナッシュビル郊外のコロンビアでブラック・タイガー(4代目)がランブルを破り王座を奪取。ブラック・タイガーは10月8日の新日本プロレス東京ドーム大会でIWGP王者タイガーマスク(4代目)とのダブルタイトル戦で勝利するが、同月30日の神戸大会でタイガーマスクに敗れ2冠を失う。
その後もテネシー州内に幾つものNWA加盟団体が存在し、2017年6月にビリー・コーガンがNWAを買収し世界ジュニアヘビー級王座を封印するまで同王座が頻繁に防衛される時期もあった。特に、現在新日で活躍するチェーズ・オーエンズはバージニアとの州境の町ブリストル出身で、テネシー州東部を拠点にしており、2012年10月にキングスポートで行われた王座決定トーナメントに優勝してから2014年11月に大阪で獣神サンダー・ライガーに敗れ王座を奪われるまで幾度となく州内で防衛した。
そして今、これを書いている時点でNWAが復活世界ジュニアヘビー級王座決定トーナメントを開催中。コーガンがNWAを買収して以来州内で何度もヘビー級や女子の世界選手権試合が行われていることから、世界ジュニアヘビー級王座が再びテネシーで防衛される可能性も十分考えられる。
資料元:
- Wrestling-Titles.com
- Nashville Banner
- Commercial Appeal (メンフィス)
- The Knoxville Sentinel
- The Birmingham News (アラバマ州バーミンガム)
- The Paducah Sun-Democrat (ケンタッキー州パドゥーカ)
