救いの証
[ 英原文 ]
私の人生について書き始める中、これまでの人生での様々な愚かな決断に対する色んな感情がこみ上げてきます。
この世には多くの傷ついた人達がいますが、特に私もその中の一人でした。 ですが今では生きていることだけにでも喜びがあり、死ぬほど私のことを愛してくださった救い主がいるということに感謝します。私の救い主である、『生きた神の御子イエス・キリスト』はこれまでも、そして今でも私に忍耐をもって接してくださいます。ありがとう、イエス様!
私の母と父は良き両親で、「目の届く限り」は、我々がカトリックの教会に行くように努めていました。それが今の私の基盤を作り上げたことに感謝します。ですが、17歳の時、両親よりも物事を知ってるいると感じた私は、学校をやめてしまいました。
アルバイトも辞め、私は窃盗を始めていました。そして捕まり、5ヶ月間、「全て支払い済みのバケーション」ともいえる、刑務所に入ったこともありました。
この時期、私にとっての神様との関係は、ただ自分の都合によるものでした。酔っ払って、自分が危険な目にあった時に神の助けを求める程度でした。いつも神様は私の叫びを聞いてくださったと思いますが、それは、まるで、自分の人生が、40年間「エジプトの近くを歩き廻った」イスラエル人の様でした。誰か経験豊富な方が隣に座って、「自分もそういうとこを通ってきたから、やめとけ。」など、人生の事実について語ってくれる際には、耳には入れてたかもしれませんが、ちゃんと聞いてなかったような気もします。
そして、私が有名になると、酒の量も増えました。プロレスラーの世界ではそれが必須のようなものでした。『社交上のみの酒』なんてものはなく、全て悪魔が利用するための嘘です。
何度も地獄に堕ちかけたことがありました。プロレスと荒れた生活により体はボロボロ、私の人生は麻薬と酒で制御不能でしたが、それも神様の御心で最悪の状況から逃れさせていただいたのでしょう。
長い間、自分自身が自分の人生をコントロールしていると思い込んでいました。
私はタフで、有名なプロレスラーで、『力』を持っていると思っていました。ですが現実は、それらは全て大きな嘘でした。私は人生の中の色々な現実を否定し、幸せでもなく、助けを必要としていたのです。大きな虚しさがあり、自分でも気づかない何かが欠けていたのです。1994年、私の甥であるニキタが、彼の教会で行われていたリバイバル集会に誘ってくれました。私は彼の中に大きな変化があったことに気付いたので、その日、主を受入れ、神の心理の中に答えを見つけることができました。新約聖書の『ローマ人への手紙』 3章23節、同6章23節、『使徒言行録』16章31節などからです。
自分の中では、イエス様が、完全な解放につながる『一つの方法』だという認識はありましたが、その日、伝道師が、自分の考え方を変えるために、神の御言葉を勉強しなければならないということを言いました。
私の心はワクワクし、すぐに聖書を勉強し始め、神に助けを求めたら、酒と麻薬への欲望が取り去られました。主をほめたたえます!
今では、私は生まれ変わったクリスチャンで、我々の意志を神にささげると、キリストによって新しくされるということを知っています。
「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」 新約聖書・フィリピの信徒への手紙 4章13節
この世と、これから来る世に対し、全ての権限を持っておられる、復活された神の御子に、信頼していきたいと思います。
今、私は、神の鎧を身に付け、聖霊の中に歩み、やっと未来が楽しみになりました。いつか神様から、「私の良き忠実な僕よ、よくやった。」と言われるのを楽しみにしています。
アーメン!

