ダラス角力史 – 第壱章

南北戦争後復興期

カテゴリー: ダラス角力史

テキサスは、1835年にメキシコに対して革命を起こし、翌1836年テキサス共和国として独立、1845年にアメリカ合衆国に併合した。だが、15年後の1860年には南北戦争に突入。合衆国(北軍)に敗北した連合国(南軍)側だったため、終戦の1865年から19世紀末までは復興の期間だった。5年後の1870年、正式に1つの州として合衆国に戻り、連邦政府に議員を送り出すのが許可された。

米国内の他地域同様、ダラスのプロレスも、19世紀後半まで遡ることができる。だが、不安定な時期のせいか、あまり当時のプロレスに関する記事は見つからず、おそらくニューヨークやボストンなどの北部やロサンゼルスなどの西海岸とは違い、プロレスが盛んではなかったのではないかと思われる。

現時点で判明しているダラスでの最初のプロレスの試合は、1882年4月14日、クラドックス・オペラハウスにて約50~100人の観衆の前で行われた、カラーアンドエルボー式で、米国王者ジョン・マクマホンが西部王者を名乗っていたジョン・オブライエンを3本勝負で破った一戦。

1891年には、ジェームス・キナハンがテキサス州ライト級王者のまま引退したが、1896年3月に復帰し、南部王者ハリー・ジョーダンとの抗争を繰り広げた。最終的には、1896年5月9日、フォートワースでジョーダンが勝利、少なくとも翌1897年4月まで南部王座を保持した。この頃のダラスは、軽量級が盛んだったと思われる。

1900年12月20日、ターナー・ホールで行われたキャッチ・アズ・キャッチ・キャン式の試合でルイス・キャノンがハリー・コバートを破ったが、観客は少なかったという。連日新聞上で紹介されていたにも関わらず、12月29日に行われたキャッチ・アズ・キャッチ・キャンとグレコローマン式の5本勝負による再戦も、キャノンが勝ったが、決して観客は多くなかった。

1901年3月8日、オリンピック・クラブでがハリー・コバートにW・J・マリーが挑戦した試合も、これまた観客動員振るわず。

そういう時代がしばらく続いたと思われるが、1900年代中期に入ると、少しずつダラスのプロレス界にも隆盛が訪れることになる。

 


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