プロレス界では、何度となく、選手権の分裂と統一が行われているが、ここでは、全日本プロレスの三冠ヘビー級王座のような団体内の統一ではなく、異なる団体の提携や合併により統一された王座を挙げていく。今回は1930年代から1960年代まで。1970年代から1990年代まではこちらを。
NWA & AWA & ニューヨーク体育協会世界ヘビー級王座 (1935年)
フランク・ゴッチ引退後、1910年代からは分裂と統一を繰り返した世界ヘビー級王座だが、1930年代に入ると、NWA(アソシエーション)、ボストンのAWA、そしてニューヨーク体育協会と、少なくとも3つに分裂していた。1934年6月、ニューヨークでNWA王者ジム・ロンドスがNY体協認定王者ジム・ブラウニングを破り、両王座統一。1935年6月、ボストンで、前年デビューしたばかりのダノ・オマホニーがロンドスを破り両王座奪取し、1ヶ月後の7月、同じくボストンでAWA王者エド・ダン・ジョージも破り3王座統一。
だが、オマホニーは翌1936年3月、ニューヨークにてディック・シカットに「仕掛け」られ王座から転落。AWAからは引き続き認定されるが、NWAは9月、王座空位を発表。別に認定されていたロサンゼルス版を含め、世界ヘビー級王座は再び乱立時代に入る。
NWA & ロサンゼルス版世界ライトヘビー級王座 (1940年)
1939年10月、アーカンソー州リトルロックで、ダニー・マクシェーンがNWA(アソシエーション)世界王者レロイ・マクガークを破り、王座を奪取するが、マクガークは判定を不服とし、ロサンゼルスで引き続き王座を防衛。以後、同地区ではレッド・ベリーやカール・グレイらが王座を保持するが、1940年1月、ハリウッドで、NWA王者マクシェーンがロサンゼルス版王者ジェシー・ジェームスを破り両王座統一。
NWA世界ジュニアヘビー級王座 (1949年)
1948年7月、NWA(アライアンス)が結成された当初は、ヘビー級同様、アイオワでNWA王者として認定されていたビリー・ゲルズが正式に初代NWA王者として認定されたが、翌1949年の年次総会では、NWA(アソシエーション)王者レロイ・マクガークが認定されることになった。アイオワやイリノイ、ウィスコンシンなどの中西部では引き続きゲルズが世界王者として防衛を続けていたが、最終的には1949年12月、アイオワ州デモインでマクガークがゲルズを破り両王座統一。
NWA(アライアンス)王者オービル・ブラウンの交通事故による重傷で、戦うことなくNWA(アソシエーション)王者ルー・テーズが統一王者に認定されたヘビー級とは違い、ジュニアヘビー級では正式に統一戦が行われた。
NWA & ロサンゼルス版世界王座 (1952年)
ロサンゼルスのプロモーター、ジョニー・ドイルは、NWA発足の翌1949年には既に加盟し、選手権委員会の一員でありながら、引き続き独自で世界王座を認定していた。
1950年11月、エンリケ・トレスを破り同地区版世界ヘビー級王座を奪取したバロン・ミシェル・レオーニは、翌1951年7月に参戦したNWA世界王者ルー・テーズの影が薄くなるほどの大人気で、1951年9月にオクラホマ州タルサで行われたNWA年次総会で、テーズはその問題について指摘した。NWAとドイルの間の溝が深まる結果となったものの、ドイルは統一戦に同意。1952年5月、ロサンゼルスで2万5千人以上の観客の前でテーズがレオーニを破った試合は、プロレス史で初めて10万ドル以上の収益を得たと言われている。
尚、当日のセミファイナルでは、NWA王者ダニー・マクシェーンとロサンゼルス版王者リト・ロメロの間で世界ジュニアヘビー級の統一戦も行われたが、引き分けに終わり、6月にロサンゼルスで行われた再戦でマクシェーンが統一王者となった。
AWA & オマハ版世界ヘビー級王座 (1963年)
1957年7月、シカゴで行われた試合でルー・テーズの負傷による『失格』でエドワード・カーペンティア(実際には英語でもフランス語の『カルペンティエル』に近い発音)が世界ヘビー級王座を奪取。その後NWAにより王座移動が無効となってからも、ネブラスカ州オマハでは引き続きカーペンティアを認定。以後、同地区の世界王座はバーン・ガニアやウィルバー・スナイダーらが保持。
一方、ミネアポリスでは3年後の1960年、ガニアとウォーリー・カルボがAWAを発足、ガニアを世界王者に認定した。
1963年9月、オマハでAWA王者ガニアが同地区認定王者フリッツ・フォン・エリックを破り、王座統一。
NWA & AWA世界ヘビー級王座 (1964年)
ここでいうAWAとは、1959年から1964年にかけて、ジョニー・ドイルとジム・バーネットがオハイオやインディアナ、コロラド、ミシガンなどで非NWA系として運営していたアメリカン・レスリング・アライアンスのこと。1962年3月にドン・レオ・ジョナサンを世界ヘビー級王者に認定したが、9月にはオハイオ州コロンバスでカール・ゴッチがジョナサンを破り王座を奪取。1964年9月、NWA世界王者ルー・テーズがゴッチを破り王座統一。
尚、このゴッチのベルトは、「微妙にデザインが違う」という指摘もあるが、後に新日本プロレス初期にゴッチが『真の世界ヘビー級王座』として持ってきたものだと言われている。
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