インターナショナル・タッグ選手権

近代王座起源シリーズ(2)

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プロレスの選手権は、その起源が不明なものが多い。だからこそ、「どう始まったか」よりも「どう続いたか」の方が重要だ。登場の仕方よりも、その王座を保持した選手や防衛戦の質によって、その価値が高められる。

日本プロレスからアマリロ地区経由で全日本プロレスに受け継がれ、現在世界タッグ選手権の一部となっているインターナショナル・タッグ選手権だが、米国やカナダにも同名の王座が幾つか存在した。

現在判明している中で最も古いのは、1952年春ニュージャージー州ノースバーゲンで開催されたトーナメントの決勝で、ドン・レオ・ジョナサン & ローランド・ミーカーを破って優勝したジン・スタンリー & スティーブ・スタンリーが奪取した王座だ。『NWAオフィシャル・レスリング』誌1952年6月号の表紙にも王者組として登場した。だが、この王座が存在しスタンリー兄弟が王者として活動したのはこの年のみで、翌1953年には同州ニューアークで、ニュージャージー州王座決定トーナメントが開催、インターナショナル王座と置き換えられる結果になった。

インターナショナル・タッグ王者組
ジン・スタンリー & スティーブ・スタンリー
NWAオフィシャル・レスリング 1952年6月号

その後、1958年2月にカナダのカルガリーで王座決定トーナメントが開催され、決勝でチコ・ガルシア & ジン・キニスキーを破ったジョー・ブルネッティ & ガイ・ブルネッティが同地区版初代王者組となった。

この頃から、アマリロミネアポリストロントジョージアと、NWA内部でも複数の地区で同名の王座が認定されるようになった。ただし、ミネアポリス版は数ヶ月後世界王座に『昇格』し、間もなく同地区がNWAを離脱、AWA認定になった。

日本に『インターナショナル・タッグ選手権』なるものが登場したのは1966年9月下旬、マイク・パドーシス & フリッツ・フォン・ゲーリングが第6代王者組として日本プロレスの『ダイヤモンド・シリーズ』に参戦した時のこと。だが、第5代王者までの歴史にも諸説がある。

その中の1つは、当時の日プロの発表による、1959年にファビュラス・カンガルーズ (アル・コステロ & ロイ・ヘファーナン)がアントニーノ・ロッカ & アルゼンチン・アポロを破り初代王者に君臨し、エドワード・カーペンティア & ニック・ボックウィンケル、ジョニー・バレンド & マグニフィセント・モーリスが保持した後、パドーシス & ゲーリングが第5代王者組カンガルー・ケネディ & ジョニー・コスタスから奪取したという説。もう1つは、以前自分がどこかの雑誌か何かからメモを取っていた、カンガルースが初代王者で、その後ジョージ・スコット & サンディ・スコット、クルト・フォン・ストロハイム & カート・フォン・ストロハイムが保持したという説。また、パドーシス & ゲーリングがテキサスで王座を奪取したというのも、どこかで読んだ記憶がある。

当然のことながら両方ともフィクションだ。確かにカンガルースは1958年頃からインターナショナル王者を名乗ってはいたが、特に王座決定戦に勝利したというわけでもなく、実際には、ある地区で地元の挑戦者組に王座を明け渡しても、その後別の地区に移転し再び王者組として活動するということもあった。ストロハイム兄弟も、テキサス州東部にインターナショナル王者組として登場したが、1964年7月にはウェーコでサイクロン・ネグロ & トーベリノ・ブランコに敗れ転落。また、カーペンティア & ボックウィンケルが保持していたのは、ロサンゼルス地区の主要タッグ王座だったインターナショナル・テレビ・タッグ王座で、スタン・ホレック & ザ・プリチャーから奪取し、マイク・シャープ & ゼブラ・キッドに敗れている。バレンド & モーリスについては、複数の地区で世界タッグ王座を奪取したが、インターナショナル王座を保持していたという記録は現在見つかっていない。

ある選手が地区参戦時に、「○○での試合で××を破って奪取した」といった具合で、何等かの王座を保持していると紹介されることは、特にアメリカでは数えきれない程あった。日本のUNヘビー級王座も、最初から権威を持たせるために、日プロが強いつながりのあったロサンゼルス地区でしばらく防衛させたというのは、今では多くのファンが知る事実だ。

パドーシス & ゲーリングも、9月27日開始の『ダイヤモンド・シリーズ』のため来日する前、ロサンゼルス地区でインターナショナル王座を『保持』していたということは知られているが、実際に同地区に参戦したのは9月に入ってからのことだった。

1966年9月22日 カリフォルニア州ベイカーズフィールド
パドーシス & ゲーリングによるインターナショナル・タッグ王座防衛に関する記事

また、その前の8月26日開始の『第二次サマー・シリーズ』に先駆けてビジランテスという覆面チーム(正体はボビー・クリスティ & ジェリー・クリスティ)も同地区でインターナショナル王座を防衛していた。日本で王座を防衛することはなかったし、日プロの会場やパンフレットでも王者として紹介されてなかったのだろうが、8月27日、東京スタジアムで行われたジャイアント馬場 & 吉村道明とのアジア・タッグ選手権試合が、後に一部のファンの間で『幻のインタータッグ戦』と呼ばれるようになったのも、そういった背景があったからだろう。ビジランテスもまた、ロサンゼルス地区参戦は7月中旬になってからだった。王者組として紹介はされてはいたが、実際にはWWA世界王者組ペドロ・モラレス & ルイス・ヘルナンデスに何度か敗れたり、ハンディキャップ戦でボボ・ブラジルに負けたりと、メインイベントに出場していたとはいえ、トップクラスの扱いではなかったようだ。来日してからも不評だったことを考えると、ロサンゼルス地区参戦中の時点で、既に日プロ側がインターナショナル王者として日本で防衛させることを断念したのかもしれない。

つまり、UN王座とは違い、来日前にインターナショナル王座をしばらく防衛させて価値を高めるというよりは、両チームとも来日前の試運転的なロサンゼルス地区参戦に過ぎないと思われる。

今後も各王座の起源について書いていくつもりだが、不明慮な点があるからこそ、いかに以後それを保持した選手達によって価値が高められたかということを、改めて認識しながら読んでいただければと思う。



参考資料:


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