世界王座への登竜門

ミズーリ州王座か、それとも…?

カテゴリー: NWA

長年、日本では『NWA世界ヘビー級王座への登竜門』と言われてきたミズーリ州ヘビー級王座。自分が憶えている範囲では、ケリー・フォン・エリックが現役王者として初めてミズーリ州地区以外で、それも日本で防衛戦を行った頃、やたらとそういう呼ばれ方をしていた。もちろん、それ以前にも雑誌などでそういう言い方をされていたのかもしれないが、とりあえず自分の記憶にはない。
(※ 後日、友人からの情報で、ディック・スレーターが保持していた頃に日本の雑誌で『登竜門』という表現が使われていたことが判明。)

だが地域制度時代のアメリカやカナダでは、世界ヘビー級王者が自分の地区に来ると、地元で認定されている王者が挑戦することが多く、おそらく大半のファンが自分自身の住む地区の選手権が登竜門だと信じていたはずなので、必ずしも「ミズーリ州王座こそが…」というわけではなかったようだ。例えば、ノースキャロライナ州に住むファンにとってはUS王座ミッドアトランティック王座、ジョージア州だったらナショナル王座ジョージア州王座といった具合だ。

NWA全盛期におけるミズーリ州ヘビー級王座は、大きく分けて2つある。まず、カンザスシティを拠点としたセントラルステーツ地区の傘下でありながらも、ガスト・カラスが独自にセントジョセフやセダリアなどで1950年代に認定していたもの。そしてNWAの会長を長期に亘って務めたサム・マソニックのセントルイス・レスリング・クラブが1970年代から1980年代中期まで認定していたもので、日本で『登竜門』と呼ばれていたのは後者のセントルイス版のこと。
(※ 1937年6月、カンザスシティでルー・テーズがウォーレン・ボックウィンケルを破り州王座を奪取したということになっているが、当時の現地の新聞には、試合前の情報や結果は載っているものの、王座に関しての記述が見つからない。おそらく同年1月に同じくボックウィンケルを破り奪取したセントルイス市王座と混同されたのではないかと思われる。6月18日に実際に州王座を奪取していたことを後日確認。)

ある日自分は、このセントルイス版ミズーリ州選手権の変遷を眺めていて、本当にこれが『登竜門』だったのか気になったので、他の地区の選手権と色々比べてみた。

まず、セントルイス・レスリング・クラブが同王座を認定していたのは1972年9月から1986年2月までで、その間NWA世界ヘビー級王座を初めて奪取したのは、ハーリー・レイス、ジャック・ブリスコ、ジャイアント馬場、テリー・ファンク、ダスティ・ローデス、トミー・リッチ、リック・フレアー、ケリー・フォン・エリックの8選手。この中で、米国を拠点にしていなかった馬場を除く7人は全員一度はミズーリ州王座に就いている。だが、ミズーリ州王座の後で初めて世界王座を奪取したのは、レイス、テリー、ケリーの3人のみで、レイスはミズーリ州王座から転落して世界王座を奪取するまで4ヶ月、テリーは2年9ヶ月、ケリーは1年1ヶ月と、実際に『登竜門』という言葉が使えそうなのは、レイスとケリーのみ。ブリスコとフレアー、そしてキニスキーとドリーは、元世界王者としてミズーリ州王座を奪取した。そう考えると、確かに、地域王座の中で最も多くの歴代の世界王者が奪取したのはミズーリ州王座だが、実際には登竜門どころか、元世界王者が奪取する選手権という印象の方が強い。

その次に多くの歴代世界王者が保持したことのある地域王座は3つで、ミッドアトランティック地区認定US王座、フロリダ地区認定南部王座フロリダ州王座を、それぞれ4人の世界王者が奪取した。この中で、US王座は、4人のうち2人が元世界王者として奪取したということで、これまた登竜門とは呼べない。南部王座とフロリダ州王座は両方とも4人のうち元世界王者は1人。南部王座は、転落してから世界王座奪取までの期間が、ブリスコが1年10ヶ月、テリーが4年8ヶ月と、それほど説得力はない。

だが、フロリダ州王座については、ブリスコが5ヶ月、テリーが6ヶ月、そしてローデスは州王者のまま世界王座を奪取したため州王座を返上した。

世界王座移動の場所としては、セントルイスとフロリダ、いずれも4回。

これら全てを考慮すると、少なくとも統計的には、主に元世界王者が保持したミズーリ州王座よりも、フロリダ州王座の方が『世界王座への登竜門』と呼ぶに相応しいということになる。だが、実際の価値については、それぞれのファンが主観や思い入れで判断するのが通常で、地域制だった時代では特にそうだろう。

ちなみに、昨年ビリー・コーガンがNWAを買収した際、加盟団体制度を廃止したため、地域王座の認定も全てなくなり、いずれの州王座も現在は認定されていない。フロリダ州王座は2016年2月にトーナメントに優勝したメイソン・プライスが奪取したが、その後自然消滅。ミズーリ王座はセントルイス版ベルトのレプリカを使用されたものを、2017年3月に同王座を巡って抗争中だったカリム・ブリガンテからジェイ・ハワードが奪回したが、コーガンのNWA買収に伴い、同地区の団体も閉鎖のため王座封印。

だが、それとは別に、2015年10月から、ミズーリ・レスリング・リバイバル(MWR)という、プロレス団体ではなく、なんとウェブサイトがミズーリ州ヘビー級王座を、それもこれまたセントルイス版ベルトのレプリカを使って認定している。

ブルース・サープによる買収までNWAに加盟していたセントルイスのダイナモ・プロ・レスリング(DPW)が、当時NWAミズーリ州王座を管理していたが、サープ買収と共にNWAを脱退、引き続きDPW王座として認定した。だが、MWRは、2015年10月、ジェイク・ダーデンを破りDPW王座を奪取したリッキー・クルーズをミズーリ州王者に認定。以降、団体は問わず、州内での(3ウェイや4ウェイではなく)シングル戦のみで選手権試合を認定するという画期的な企画を続けており、DPWだけではなくハーリー・レイス主宰のWLWを含む複数の団体で選手権試合が行われている。そして現王者は昨年NWA版王座を奪取されたカリム・ブリガンテで、先日行われたNWA70周年記念大会にも出場した。NWAの流れを受け継ぐわけではないが、この、団体を越えた選手権であるMWR版こそ、ただのインディ王座ではなく、真の州王座といえるのかもしれない。
(追記: 残念ながらMWR版王座は2022年7月に封印。)

全ての州で同様な企画ができるとは思わないが、もう数ヶ所、MWRと似たような選手権が認定されてもいいような気がする。弱小インディ団体がそれぞれ意地を張り合うより、地域ごとで協力し合う方が、プロレス界の活性化につながるような気がするし、そこから誕生する選手権が、主要王座への『登竜門』になるという可能性も十分あると思う。


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