今回でこの『テキサスの思い出』シリーズは最終回。いつかまた何か思い出したら追加で書くかもしらんが、とりあえず一区切りつけよう。ダラスのプロレス関係者や他の常連客達とか、強烈な人が多かったんで、暴露するならもう少しはネタがありそうだけど、他人の悪口を並べて喜ぶような野暮なことをやる気もない。
2016年3月、大学卒業以来初めて、約21年振りにテキサスに行った。かつてのスポータトリアムの観戦仲間で、1999年の自分の結婚式にわざわざニューヨークまで来てくれたCがオースティンで結婚式をするというのが理由だ。でもせっかくなんでダラスにも行くことにした。3月16日、ニューヨークからダラスに飛んで、大学時代の友人宅に1泊した。入学した頃、デビッド・フォン・エリックの未亡人らと一緒に行動していた仲間の1人だ。
翌17日は、母校のあるデントンに行った。さすがに6年も住んでれば、たくさんの思い出がよみがえってくる。あれから21年も経ってるわけで、全く変わっていて戸惑うことも多かったが、懐かしいという気持ちが強いのは事実で、楽しかったこともたくさん思い出した。でも、振り返ると、少なくとも渡米して以来は、これまで最も自分が無責任で幼稚だったのがテキサスでの大学時代だったわけで、多くの人達に迷惑をかけたりしたし、今でも自分のことを嫌ってる人達もいるだろうし、やっぱ色々嫌なことも思い出してしまう。あれだけ嫌いだったテネシーの高校には卒業以来何度も行ってるのに、楽しかったはずのテキサスに全く行ってなかったのって、そういう理由もあるのかもしれない。
その晩からは別の友人宅に2泊。そして19日、ダラスを出てフォートワースのカウボーイの街『ストックヤード』に寄って真昼間からステーキを喰い、オースティンへ向かった。まっすぐな道が多いし、高速道路の制限速度もニューヨーク周辺より高く、大学時代ダラスから車をぶっ飛ばして、何時間もかけてニューオリンズやメンフィス、ナッシュビルに行ってたのを思い出した。
オースティンに到着しモーテルにチェックインして、新郎のCに連絡。翌日挙式予定の新婦Lと2人で迎えに来てくれて、そこからBBQ屋で他の人達数名と食事ということになってるらしい。
その店に向かう車の中でCが言った。
「最近はまたこの辺でも結構インディのプロレスやっててさ、NWAの名前を使ってる連中もいるんだよ。」
「ブルース・サープっていう、昔ブラウンズビルでIWFとかいう団体をやってた奴が、今NWAをやっててね…。」
「らしいな。んで、その中の1つが今晩試合やるんだよ。」
「へぇ…。」
まさか、式の前の晩にプロレス観戦なんか考えてもなかったし、実はあまり興味もなかったんで、特に何も言わず黙ってたら、Lが言った。
「せっかくなんで、2人で行ってきたら?」
正気か?
でもCも乗る気だったらしく、BBQ喰った後に一旦解散、今度はCだけでモーテルまで迎えに来てくれて、本当に2人で行くことに。場所は、オースティンの郊外のブダという町。
その町では、しばらくの間、ブランデッド・アウトロー・レスリング(BOW)という、サープが社長になってからNWAと提携した団体がやってたが、内輪もめか何かよくわからんが、スタッフや選手達が同会場でプロ・レスリング・テキサス(PWTX)という団体を旗揚げしたばかりだった。
その会場は、バー付きのゲームセンターにくっついてるパビリオン。車中心の社会、飲酒運転なんて普通で、親子連れも多い。壁は殆どなく、ちょっと涼しかった。ビールを飲んでた自分は大丈夫だったが、全く飲まないし短パン穿いてたCは途中からちょっと辛そうだった。
PWTXの中心人物の1人は、当時現役のROH世界タッグ王者だったレイモンド・ロウ。IWGPタッグ王座を2度獲ったこともあったが、現在はWWEで活躍。当日は試合もしたが、運営にも関わってたらしく、休憩中のサイン用のデスクでは、やけにニコニコして優しそうだった。
そしてCが、「これが今、俺の一押しの選手なんだよ。」と言ってたのがキース・リー。自分も、なかなかいい選手だと思ったし、現在NXTで頭角を現しているのを見ると、「将来絶対大物になる。」と言ってたCも当たってるのかもしれない。
ただ、その日のメインイベントはちょっと引いてしまった。NWA世界ヘビー級王者ジャックス・デインが、北米ヘビー級王者ティム・ストーム、そして世界タッグ王者組ロブ・コンウェイ & マット・リベラと組み、アンディ・ダルトン & バレット・ブラウン & ジャクソン・ストーン & チェース・マローンと対戦するという8人タッグ。
アンディ・ダルトンとは、かつてメキシコ湾岸地区を中心に南部一帯で活躍したフランク・ダルトンの息子。
バレット・ブラウンは後のNWA世界ジュニアヘビー級王者で、この試合ではヒールだったが、前半フェースとして出場したアメリコスという覆面選手も、確か正体はブラウンだったような…。(笑)
当時のNWAとしては豪華な顔ぶれなのかもしれないが、「NWAの王者って、地元の選手を引き立てる必要があるはずなのに、こんなにチャンピオンばっかり集めて、いくら悪役だからって地元の若い連中にぶつけるとは、とんでもねぇブッキングだよな。」とCが呟く。
確かに滅茶苦茶な組み合わせだったが、「でも、サープになってから色々変なこと多いらしいし、今のNWAってテキサスとテネシーに集中してるんで、毎回似たような面子で各団体周ってりゃ、たいして変わらないよ。」と説明したら、呆れながらも納得したようだ。
試合が終わる頃、「北東部のインディと違って、落ち着けるだろ?」とCが訊いてきた。事実、毎回十数試合あって、そのうえ段取りも悪けりゃ休憩も長く、酷い時にはメインイベント終了が午前0時過ぎることもあるニューヨークやニュージャージーの団体とは違い、各試合は多少長めかもしれないが、数試合しかなく、子連れでも十分落ち着けそうな雰囲気だった。超久々に南部の団体を楽しむことができた。
翌20日は、結婚式と、それに続いて披露宴。とはいえ、メキシコ料理屋でのバフェ形式のシンプルな式だったんで、後のことを考えて、わざとあまり食べず。せっかくなんで夜には、大学以来ずっとオースティンに住んでるテネシーの高校の同級生と食事に行った。
21日の帰りの便は夕方だったが、さっさとオースティンを出て、朝からダラスに向かった。ダウンタウンの、かつてよく飲みに行ってたウェストエンド地区で昼食にするつもりだったが、どうしてもその前に寄らなければならないとこがあった。カディス・ストリートとインダストリアル・ブールヴァードの角のあの場所だ。
だが、高速道路からカディスに出たところにあったと思ってたインダストリアルが見当たらない。スマホで地図を開いても見つからない。「ここの角のはずだが…」と思って標識を見ても、リバーフロント・ブールヴァードと書いてあり、その道に曲ったはいいが、見たこともない光景が続く。
それもそのはず、インダストリアルがリバーフロントという名前に変わってたらしい。それに大学時代の当時は、カディスとの角と高速道路の出口の間しか行き来してなかったので、リバーフロントを反対方向に行ったところで、そんな光景を見たことあるわけがない。リバーフロントを引き返し、改めてカディスとの角に行ってみた。

スポータトリアムが、ホームレスの起したボヤで火事になり、そのまま修復されず、10年以上前に取り壊されていたのは百も承知だった。この旅行の何年も前だったが、取り壊し前の建物の中をケビン・フォン・エリックが歩く様子も『Heroes of World Class Wrestling』というDVDで半泣きしながら観たこともあった。
だが、取り壊されて13年も経ってるのに未だ何もない空き地を実際にこの目で見ると、懐かしさも屁もない。寂しさが込み上げてくるだけだった。心の中で、改めて思い出の場所に別れを告げた。
複雑な思いでウェストエンドに向かい、ビールを飲みながらの昼食後、少し散歩して空港に向かった。
「親父と兄貴と初めて来たスポータトリアムの記念だ。」と言いながら小さなな石を摘まみ上げるマーシャル。
思い出を語りながら声を詰まらせるケビン。
今でも友人が何人もいるテキサス。行こうと思えばいつでも行けるのかもしれない。実は、今年のG1 Climaxの開幕戦がダラスだというんで、一瞬行くことを考えたが、飛行機代や宿泊、食事などを考えてると、なんとなく面倒になった。もはやそこまでの気力もなくなってるのかもしれない。G1観戦皆勤を狙ってる友人のYさんは、ダラス大会も遥々東京から観に行ったらしく、正直うらやましいとは思ったけど…。
でもやっぱ、次回行く時も地元のインディがあれば行ってみたいような気がする。大学時代の、キャラの濃そうな常連だらけで、中途半端にしか客が入ってないスポータトリアムの雰囲気は絶対取り戻せないけど、『古巣』のプロレスが盛り上がってるのなら、是非またこの目で見たいと思う。
