NWA世界ミドル級選手権

近代王座起源シリーズ(7)

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プロレスの選手権は、その起源が不明なものが多い。だからこそ、「どう始まったか」よりも「どう続いたか」の方が重要だ。登場の仕方よりも、その王座を保持した選手や防衛戦の質によって、その価値が高められる。

現存する世界最古のプロレス団体はメキシコのコンセホ・ムンディアル・デ・ルチャ・リブレ(CMLL)だが、かつてはエンプレサ・メヒカナ・デ・ラ・ルチャ・リブレ(EMLL)の名で、NWA(アライアンス)加盟団体としてライトヘビー級、ミドル級、ウェルター級の3つのNWA世界選手権を管理していた。このうちNWA本部が正式に認定していたのはライトヘビー級のみだったので、ミドル級ウェルター級は事実上EMLL独自の認定ということになる。

本部認定ではなかったが、NWA世界ミドル級王座は、その起源を1920年代の米国まで遡ることができる。

1921年10月、アイオワ州シーダーラピッズで、フィンランドからの移民ガス・カリオが当時ウェルター級でトップ格だったジャック・レイノルズを破り、世界同級王座を奪取。1926年12月にはオハイオ州ウォーレンでジョー・パレリを破り、世界ジュニアミドル級王座も奪取し、翌1927年1月ウェルター級王座を返上。そして8月にはミドル級転向のためジュニアミドル級王座も返上、ダラスで再度パレリを破り同地区版世界ミドル級王座も奪取し、3階級制覇を達成した。約2週間後、パレリがカリオを破り奪回するが、更にその3週間後の9月29日には、ヒュー・ニコルスがパレリを破り王座奪取。

同じ頃、ニコルスとは別にジョニー・マイヤースも世界ミドル級王座を主張していたが、両選手とも体重制限を維持できないことを理由に1928年に返上。

空位になった世界ミドル級王座は、1928年8月、米国内でも比較的影響力のあったイリノイ州体育協会がシカゴで王座決定戦を開催。カリオがチャーリー・フィッシャーを破り、王者に認定され、以後各地で防衛を続けたが、翌1929年2月、オハイオ州シンシナティで、ニコルスに敗れ王座転落。

1930年、ナショナル・ボクシング・アソシエーション(NBA、現WBA)のレスリング部が正式にナショナル・レスリング・アソシエーション(NWA)として発足し、各階級での世界王座決定戦を開催した。ニコルスはライトヘビー級王座決定戦出場のため再びミドル級王座を返上。そして4月9日、オハイオ州コロンバスで行われた王座決定トーナメント決勝で、カリオがレイ・カーペンターを破り世界ミドル級王者に認定された。ジョージ・サワーやジョー・ガンサーらに敗れることもあったが、いずれも数ヶ月以内に奪回し、1930年代の大半をカリオは世界ミドル級王者として活躍した。

1939年1月19日、メキシコシティで、オクタビオ・ガオナがカリオを破り王座奪取。まだ間もない2月2日、次期挑戦者決定戦が行われ、タルサン・ロペスことカルロス・ロペスが前王者カリオを破り、翌週の試合に勝利しガオナを短命王者に終わらせた。以後ミドル級王座はNWA(アソシエーション)に認定され続けながらもEMLLの管理の下メキシコに定着し、ゴリー・ゲレロ、マイク・ケリー、スギ・シトらが王座に就いた。

ガス・カリオ
王座転落後の1939年3月には一線を退き、1959年までの約20年間ルイジアナ州モンローでプロモーター業に専念。

1952年2月、当時の王者エンリケ・ヤネスは、EMLLの待遇に不満を持ち脱退、王座も返上した。7月に開催された王座決定トーナメントでは、タルサン・ロペスが優勝し4度目の栄冠。同年9月には、NWA(アライアンス)の年次総会でEMLLの加盟が承認され、その後ミドル級王座やウェルター級王座も、本部による公式ではないにしろ、表面上はNWA(アライアンス)認定という扱いになり、アソシエーションとアライアンスの両NWAの世界王座となった。

タルサン・ロペス (カルロス・ロペス)
通算9年以上NWA世界ミドル級王座を保持。

ミドル級が他のNWA世界王座と違うのは、ヘビー級ジュニアヘビー級がアライアンスとアソシエーションとの間での王座統一、ライトヘビー級ウェルター級が王座決定戦で新王者が誕生したのに対し、ミドル級だけは、1930年設立のアソシエーションの王座がそのまま継続して(本部認定ではないが)アライアンス王座になったという点だ。

1975年1月には、アニバルが『ルチャリブレ・インテルナショナル』(LLI=UWA)旗揚げ戦に出場し、なんと敵対する団体のリングでNWA世界王座を防衛。その後、UWA移籍のためNWA王座を返上し、7月に行われた王座決定トーナメントではペロ・アグアヨが優勝。以降、1998年にウルティモ・ドラゴンが負傷で返上するまで、約23年間、空位になることがなかったというのも、この王座の特筆すべき点だ。ドラゴン以外にもマシオ駒、佐山サトル、グラン浜田、ザ・グレート・サスケといった日本の選手達がこの王座を奪取した。尚、ドラゴンは1996年12月29日から1997年1月4日までの間、NWA世界ミドル級王座に加え、J-CROWNトーナメントで統一されていた八冠王座、そしてWCW世界クルーザー級王座と、合計10本のベルトを同時に保持していた。

今尚NWAを追う(14) – 軽量級王座』に詳しく書いたが、2010年には、このミドル級王座を含め、CMLLが管理する3つのNWA世界王座が『NWA世界イストリコ(ヒストリック)王座』に改称、その時点でのNWA世界王者がそれぞれ継続して認定された。その後、ライトヘビー級とウェルター級については、CMLL以外の団体でNWA(アライアンス)世界王座と名付けられた選手権が存在したこともあったが、ミドル級はそれに代わるものが現れていない。CMLLがNWAイストリコ世界王座をどういう位置付けとしているのかは知らないが、かつて米国においてガス・カリオが防衛し続けメキシコに持って来た世界王座を受け継ぐものだとすると、このミドル級王座こそが、現存する世界最古のプロレス選手権ということになる。

 

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