米国南部に位置し、50州で16番目に人口の多いテネシー州。東西に広く、ケンタッキーやアラバマなど8つの州に囲まれている。海や大きな湖はなく、東のアパラチア山脈と西のミシシッピ川に挟まれている。州都は1847年以来ナッシュビルで、長年州内ではメンフィスに次ぐ第二の都市だったが、2017年遂にメンフィスの人口を超え最大都市となった。1940年代から1970年代までの間、ニック・グラスはナッシュビルを本拠とし、ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)会員ロイ・ウェルチと共にアラバマやケンタッキー、アーカンソーといった南部一帯を牛耳った。ナッシュビルやメンフィス以外でも、ノックスビル、チャタヌーガ、ジャクソンなどでプロレスの興行が盛んで、1974年にはノックスビル周辺の地域がグラス派から独立する程だった。
現在自分の調査で判明している範囲では、最初にテネシー州で世界ミドル級王者に認定されていたのはフレッド・バートルだ。1907年1月、オハイオ州マリオンでアル・アッカーマンを破り世界ウェルター級王座を奪取するが、春にはテネシー州東部に主戦場を移す。
テネシーでは、何故か世界ではなくカナダ・ウェルター級王者を名乗ったバートルだが、4月29日チャタヌーガでシカゴ・サンドウを破り世界ミドル級王座を獲得。シカゴ・サンドウとは、1920年代にビリー・サンドウの名でエド・ストラングラー・ルイスとトーゥツ・モントとの『ゴールドダスト・トリオ』でプロレス界に大きな変革をもたらした人物だ。
バートルは1907年7月チャタヌーガで、世界ウェルター級王者アル・アッカーマンを破りミドル級王座を防衛するが、秋にはテネシーを離れ、9月27日オハイオ州アクロンでアッカーマンとの試合で負傷、数ヶ月におよぶ長期欠場に追い込まれる。
1910年、イギリスで開催された大トーナメントに優勝したという触れ込みで、サム・アンダーソンが世界ミドル級王者としてテネシーに登場。だが、ノックスビルではウォルト・エバンスも王者を名乗っており、統一戦が望まれていた。アンダーソンは1911年2月21日、テネシーとバージニアの2州をまたがる町ブリストルで、英国王者として米国王者ジョー・ターナーを破り、同地でも世界王者に認定。だが1ヶ月も経たない3月17日、同じくブリストルでウォルト・エバンスに敗れる。
世界王座を奪取したエバンスだったが、5月の時点では米国王者、そして8月には何故か南部王者として紹介されていた。9月4日にはノックスビルの野外会場で世界王者フレッド・ビールに挑戦するも、お互いが1本ずつ取った後、雨のため3本目が中止になってしまった。翌1912年1月26日の再戦では、ビールがエバンスを破り王座防衛。
1912年4月10日、ワシントンDCで世界王者を名乗っていたジョー・ターナーが東部王者として南部王者ウォルト・エバンスと世界王座をかけてブリストルで対戦するが引き分けに終わった。その後もエバンスは数年間南部王者として活躍。

引退後の1920年代はノックスビルでプロモーター、1930年代には同市体育協会の理事長も務めた。
ジョー・ターナーは1915年2月にメンフィス、そして1916年8月にはノックスビルに世界王者として登場。10月4日ノックスビルで再びウォルト・エバンスが挑戦するが試合中に膝を脱臼し、またもや王座奪取はならなかった。
1920年5月12日、ノックスビルでエバンスがついにターナーを破るが、試合前の軽量が行われていなかったにも関わらず、ターナーは「エバンスの体重がミドル級の制限を超えていた」という理由で王座移動無効を主張。エバンスは翌年2月頃まで王座を主張していたが、同年ノックスビルでの興行も手掛けるようになり、間もなく引退。
引き続き王座を主張していたターナーだが、1922年9月24日、メンフィスから約220km離れたところにあるアーカンソー州リトルロックでチャールス・レントロップに敗れる。レントロップは10月19日、同地でウェイノ・ケトネンに敗れるが11月8日に奪回。その後12月11日の試合を最後に、短期間ながら他地区遠征に出るが、その間連敗したことがリトルロックの新聞で報道されていたせいか、年が明けた1923年1月にアーカンソーに戻って来た際には、既に世界王者を名乗ってはいなかった。その後レントロップは現役を続けながらも、1926年1月にはジョン・コントスからメンフィスでの興行権を買収し、1948年6月までプロモーターとして活躍した。
1925年4月、イリノイ州シカゴでジョニー・マイヤースがルー・タラバーを破り2度目の世界ミドル級王座栄冠。1927年5月にケンタッキー州パドゥーカで防衛するが、翌1928年8月、体重制限が保てないことを理由に、ナショナル・ボクシング・アソシエーション(NBA)はマイヤースを認定することを拒否。同月、シカゴでガス・カリオがチャーリー・フィッシャーを破りNBAからプロレス世界王者に認定される。
以後、1930年代の殆どをミドル級の頂点に君臨するカリオだが、1935年5月7日、ナッシュビルでジョー・ガンサーに敗れ王座を奪われている。約1ヶ月後の6月14日、アラバマ州モービルでカリオが奪回。ガンサーは後にプロモーターとして1940年代から1960年代にかけてルイジアナ州やアラバマ州と広域に亘って牛耳ることになる。
カリオは1939年1月、メキシコシティでオクタビオ・ガオナに敗れるが、米国内ではNWA(アソシエーション)も認定したこの王座移動を認識していない、または意図的に無視した地区もあったようだ。テネシー州ジャクソンでは1944年、タフィ・トゥルースデールが突如王者として登場。1943年10月、フロリダ州マイアミでタルサン・ロペスがカリオから王座を奪取し、同年12月にメキシコシティでトゥルースデールがロペスを破ったという触れ込みだったが、もちろん両方とも架空の王座移動だ。それどころかトゥルースデールにとっては、1944年5月末メキシコシティで行われたナショナル王座決定トーナメント決勝でエル・サントに敗れた後のテネシー州転戦だった。その後トゥルースデールは世界ミドル王座を巡ってテネシーとケンタッキーの両州を股にかけてブラックスミス・ペディゴと抗争。

鰐や熊と試合することを売り物にしていた。
1944年10月27日、ケンタッキー州ボーリンググリーンでガス・ウィスバーが ブラックスミス・ ペディゴから王座奪取。12月26日にはナッシュビルで元世界ジュニアミドル級王者ヤキ・ジョーに敗れるが、年明けの1945年1月9日、同じくナッシュビルで奪回。その後5月8日に同地でエース・フリーマンに敗れる。
1945年7月9日、フロリダ州マイアミで行われたノンタイトル戦でジョニー・カーリンがエース・フリーマンを破るが、この頃現地プロモーターだったビル・サラデーはナッシュビルのニック・グラスをパートナーとして共に興行を手掛けており、グラスはナッシュビルでこの結果を王座移動とし、カーリンを新王者に認定した。8月30日、ケンタッキー州ボーリンググリーンでタフィ・トゥルースデールがカーリンを破り、3度目の栄冠。
米国では大半の地区において、第二次世界大戦前後にミドル級は過去のものとなっていったが、テネシー州地区も例外ではなく、1945年11月にトゥルースデールが地区を離脱すると、世界ミドル級王座も自然消滅した。
資料元:
- Wrestling-Titles.com
- Nashville Banner
- Commercial Appeal (メンフィス)
- The Knoxville Sentinel
- The Jackson Sun (テネシー州ジャクソン)
- Bristol Herald Courier
