米国南部に位置し、50州で16番目に人口の多いテネシー州。東西に広く、ケンタッキーやアラバマなど8つの州に囲まれている。海や大きな湖はなく、東のアパラチア山脈と西のミシシッピ川に挟まれている。州都は1847年以来ナッシュビルで、長年州内ではメンフィスに次ぐ第二の都市だったが、2017年遂にメンフィスの人口を超え最大都市となった。1940年代から1970年代までの間、ニック・グラスはナッシュビルを本拠とし、ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)会員ロイ・ウェルチと共にアラバマやケンタッキー、アーカンソーといった南部一帯を牛耳った。ナッシュビルやメンフィス以外でも、ノックスビル、チャタヌーガ、ジャクソンなどでプロレスの興行が盛んで、1974年にはノックスビル周辺の地域がグラス派から独立する程だった。
1908年4月、イリノイ州シカゴでフランク・ゴッチが初代統一世界ヘビー級王者ゲオルグ・ハッケンシュミットを破り王座奪取。ゴッチは翌1909年12月17日、ナッシュビルで行われたボードビルに元ボクシング世界ヘビー級王者ジェームス・J・ジェフリーズと共に出演し、ベンジャミン・ローラーを相手に15分のエキシビションマッチに出場した。1911年5月5日にはノックスビルでフレッド・ビールを破り世界王座防衛。
1914年3月、ミズーリ州カンザスシティでゴッチ引退のため空位となっていた世界王座の決定戦が行われ、アメリカスことガス・ショーンラインがフレッド・ビールを破るが、同じ頃スタニスラウス・ズビスコも王座を主張。チャタヌーガでは、3月17日か18日にズビスコの試合が予定されていたが、「2週間前に旅行に出て行ったプロモーターと、誰も連絡が取れない」という、現在では考えられない理由で自然消滅となった。ズビスコは5月、カンザスシティでアメリカスを破る。
ゴッチが引退し、1914年秋以降ズビスコが米国を数年間留守にしている間、世界ヘビー級王座は混乱の時代に入ったが、最終的には1920年1月ニューヨークでジョー・ステッカーがアール・キャドックを破り統一王者となった。4月13日、ナッシュビルでのエド・ストラングラー・ルイスとジョン・ヘラクルの試合で、現役世界王者のステッカーがレフリーを務める予定だったが、直前になって他の試合が入りキャンセル。ルイスは12月13日、ニューヨークでステッカーから王座を奪取するが、約半年後の1921年5月6日、同じくニューヨークで米国復帰したスタニスラウス・ズビスコに敗れる。
ズビスコは1921年12月12日、ナッシュビルでチャーリー・ハンセンの挑戦を受けるが、3時間経っても決着はつかず、午前零時にレフリーが試合の終了を宣言し引き分けとなり、かろうじて王座を防衛した。
1922年3月、カンザス州ウィチタでエド・ストラングラー・ルイスがズビスコから王座奪回。1923年1月25日にはナッシュビルでカール・スワンソンを破り王座を防衛。
1925年1月ミズーリ州カンザスシティでルイスがウェイン・マンに敗れたにも関わらず引き続き王座を主張すると、再び世界王座は分裂する。1926年春の時点ではマンとルイスに加え、ジョー・ステッカーとジョー・マルセヴィッチも王座を主張。その間ステッカーはナッシュビルやメンフィスで頻繁に王座防衛を続けた。その後ルイスがマンとマルセヴィッチを破り、1928年2月20日にはミズーリ州セントルイスでステッカーも破り王座を統一。ルイスは早速約1ヶ月後の3月27日にチャタヌーガでハンソン・オジャイルス、3月28日にはメンフィスでスタンリー・スタージャックを破り王座防衛。
1929年1月4日、マサチューセッツ州ボストンでガス・ソネンバーグがルイスから王座を奪取。詳しくは『1930年代の世界ヘビー級選手権』に書いたが、この頃にはボクシング同様プロレス界にも『選手権管理団体』が出現し始め、王座分裂が更に明確なものになっていく。ソネンバーグやその挑戦者たちを独占するボストンのポール・バウザーに反発したプロモーター達はソネンバーグの王座『剥奪』を発表。同年8月23日、ペンシルバニア州フィラデルフィアで開催された新王座決定戦でディック・シカットがジム・ロンドスを破り、ナショナル・ボクシング・アソシエーション(NBA)とニューヨーク州体育協会(NYSAC)から認定された。間もなくシカットはテネシー州を含む南部巡業を開始。1930年9月、NBAはプロレス部がナショナル・レスリング・アソシエーション(NWA)として独立することを承認。この頃のナッシュビルのプロモーターはジム・グラハム、メンフィスはチャーリー・レントロップだったが、テネシー州自体がNWA(アソシエーション)に加盟していたからか、NWAの実権を握っていたと言われるセントルイスのトム・パックスの影響が大きかったようだ。

1932年3月、ニューヨークのブロードウェイでミュージカル俳優として活躍していたジャック・プライス・ジョーンズがナッシュビルに帰郷。ジョーンズはジム・グラハムが毎週月曜の定期興行で使用していた会場ヒッポドロームの運営会社の副社長に就任し、それと同時に突如として独自のプロレス定期興行の開催を発表。結果、グラハムは別会場に追い出される形となり、ジョーンズはNWA(アソシエーション)世界ヘビー級王者を招く権利まで強奪してしまう。当初ジョーンズはグラハムと同じ月曜の定期興行をぶつけてきたが、期待していた程の動員ではなかったのか、翌4月には火曜、そして5月には水曜に移行する。一方グラハムは1934年春頃までナッシュビルでの興行を続けた。ジョーンズは主にヘビー級選手による大会を毎週水曜に開催していたが、1935年3月からは同じくヒッポドロームでウォルター・ウルマンが毎週月曜ライトヘビー級の選手達による定期興行を開催。
その後もテネシーでは主にNWA(アソシエーション)世界ヘビー王座が認定されるが、1938年6月29日にミネソタ州ミネアポリスで元フットボール選手ブロンコ・ナグルスキーが当時のNWA王者デットンを破りリング誌からも認定されると、NWAはこの王座移動を認めず、9月の年次総会で、6ヶ月以内にナグルスキーかエベレット・マーシャルの挑戦を受けることを条件にジョン・ペゼックを王者に認定した。
だがペゼックはその防衛戦の大半を地元のネブラスカ州で行う。更には、NWA(アソシエーション)の要請を受け入れないどころか、ミッドウェスト・レスリング・アソシエーション(MWA)の本拠であるオハイオ州での試合も増やしていく。その間、トム・パックスもやむを得ずセントルイスにNWA以外の世界王者を招くことになり、それに合わせてテネシー州でも同じ王者が認定されていた。例えば1937年末、MWAではエベレット・マーシャルを認定しており、主要な防衛戦の多くがオハイオ州コロンバスで開催されていたが、12月29日にはパックスによるセントルイスでの興行でルー・テーズがマーシャルからMWA王座を奪取(テーズ世界王座初栄冠)。翌1938年2月、マサチューセッツ州ボストンでスティーブ・ケーシーがテーズから王座を奪取すると、ケーシーはメンフィスでも防衛した。
9月にカナダのモントリールで開催された1938年度NWA(アソシエーション)年次総会で、案の定ペゼックが王座を剥奪され、エベレット・マーシャルが世界王者として認定。翌1939年2月23日、セントルイスでルー・テーズがマーシャルから王座を奪取すると、4日後にはメンフィスで防衛。再びNWA世界王座がテネシー州内で頻繁に防衛されるようになった。
1940年3月、テネシー州に隣接するアラバマ州バーミンガムで1932年から興行を手掛けていたクリス・ジョーダンが他界。ジョーダンの下で働いていたニック・グラスは8月、ナッシュビルに拠点を移し興行を開始。翌1941年、既にナッシュビルで興行をしていたジャック・プライス・ジョーンズがプロレスから手を引くが、同時に米国は第二次世界大戦に突入し、それが原因からか、世界ヘビー級王者がテネシーで防衛することも減っていった。
終戦から約3年後の1948年7月、アイオワ州デモインのピンキー・ジョージが近隣のプロモーター達と共に計6名でナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)を発足。当初ジョージは中西部での共有世界王者を認定するということしか視野になかったため、ニック・グラスもパートナーのロイ・ウェルチもNWA(アライアンス)には加盟していなかったが、翌1949年にアソシエーションとアライアンスの世界王座統一が計画されると、NWA(アライアンス)への加盟申請が殺到し、9月から11月にかけてウェルチを含む12人ものプロモーター達の加盟が承認された。だが、11月25日にミズーリ州セントルイスで予定されていた初代アライアンス世界王者オービル・ブラウンとアソシエーション世界王者ルー・テーズのヘビー級王座統一戦がブラウンの交通事故による重傷で中止となり、テーズが統一王者に認定。3日後の28日にテーズは早速メンフィスでキャロル・クラウザーを相手に王座を防衛。
1955年3月、カリフォルニア州サンフランシスコでレオ・ノメリーニがルー・テーズを反則勝ちで破る。NWA(アライアンス)は反則での王座移動を認めなかったが、同州体育協会はノメリーニを世界王者に認定。7月にミズーリ州セントルイスでテーズがノメリーニを破るまで2人とも各地で王者を名乗り、テネシー州でも4月から5月にかけてノメリーニが王座主張者として転戦した。
1960年代に入るとNWAとは別に幾つかの団体がそれぞれ世界王座を認定し始めたが、テネシーを含む米国南部では引き続きNWA王座が世界王座として認定されていた。それら一部の非NWA系の団体は消滅およびNWAに吸収され、1970年代にはミネソタ州を中心とした中西部のAWA、北東部のWWWF以外の大半の地区はNWAの傘下にあった。
1974年11月にはロン・フラーがニック・グラスの傘下だったジョー・カザナからテネシー州東部ノックスビルの興行権を買収し、サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)を旗揚げした。とはいえ、フラーの本名はロナルド・ウェルチで、ロイ・ウェルチの実の孫だっため、ナッシュビル地区から分裂する結果になったものの、共にNWAの加盟地区でもあったということから引き続きノックスビルでもNWA世界王座の防衛戦は行われた。
1977年2月、メンフィスのマッチメーカーだったジェリー・ジャレットがニック・グラスの方針に反対し自らの興行会社を設立し、3月20日に初興行を開催。ジャレットは1978年夏、ミネソタ州を拠点としたAWAと提携し、8月21日にはメンフィスでジェリー・ローラーが王者ニック・ボックウィンケルに挑戦。反則勝ちで惜しくも王座奪取を逃す。その後グラスとジャレットは和解し、グラスの興行にジャレットが選手を派遣するようになるが、1980年9月にグラスは引退。以降メンフィスでは広告にAWAのロゴが掲載され始めるが、ナッシュビルやケンタッキー州ルイビルなどメンフィス以外の興行では引き続きNWAの名称が使われていた。

ニック・グラスに造反したジェリー・ジャレット派の興行に、なんとNWA世界王者のハーリー・レイスが出場。
また、ジャレットは1979年、コンチネンタル・レスリング・アソシエーション(CWA)の名で王座を新設し、「1月にオーストラリアのメルボルンでマーク・ルーインから奪取した」としてサンダーボルト・パターソンを世界ヘビー級王者に認定。パターソンは6月の時点でも王座を保持していたが、9月にはパット・マクギニスが認定されていた。10月にはビリー・グラハムがマクギニスから王座を奪取するが、11月にケンタッキー州レキシントンでジェリー・ローラーに敗れる。既にAWAとも提携していたため、同じ大会でAWAとCWA両方の選手権試合が行われることもあった。ローラーのCWA世界王座は1980年に空位となり、4月28日にメンフィスで行われた王座決定戦ではビル・ロビンソンがザ・スーパースター(マスクド・スーパースター)を破る。その後ロビンソンはボビー・イートンらとCWA王座を巡って抗争。1981年4月にケンタッキー州ルイビルでドリー・ファンク・ジュニアがロビンソンを破ると間もなく王座は封印され、AWA王座がテネシー州での主要世界王座として認定される。
AWA世界ヘビー級選手権: ニック・ボックウィンケル(王者) vs ジェリー・ローラー
他地区でのボックウィンケルによる多くの防衛戦同様、ローラーもまた反則や不明慮な裁定に泣かされ続けた。
一方NWA王座は、地区の本拠がナッシュビルからメンフィスに移ったせいか、ナッシュビルでの世界王座防衛戦は激減した。そして1980年にはノックスビルにミッドアトランティック地区、チャタヌーガにはジョージア地区がそれぞれ進出。他地区による巡業ではあったが、いずれもNWA加盟地区だったためテネシー州内でのNWA王座の防衛は続けられた。
そんな中、AWA世界王座を中心に認定していたメンフィスに、1982年8月突如としてNWA世界王者リック・フレアーが登場。14日土曜朝のテレビスタジオからの生中継で早速地元のトップ選手であるジェリー・ローラーとの対戦が急遽組まれ、リングアウト負けで王座を防衛。だがこれは単発に終わり、それ以降メンフィスでは再びAWA王座が主に認定。
NWA世界ヘビー級選手権: リック・フレアー(王者) vs ジェリー・ローラー
※ パート3。 パート1および2は2人によるインタビューで、試合はパート4に続く。
1983年にWWFがNWAを離脱し、本格的に全米侵攻を開始。翌1984年6月24日にはメンフィスでのテネシー州初興行を開催し、メインイベントではハルク・ホーガンが、かつて現地でムーンドッグ・スポットとのタッグチームで大暴れしていたムーンドッグ・レックスを一蹴、WWF世界王座を防衛した。
同じ頃、ミッドアトランティック地区のジム・クロケット・ジュニアもNWAの名で各加盟地区を買収し始め全米進出。テネシー州内でのNWA世界ヘビー級王座防衛戦もクロケットの興行によるものとなった。
1987年5月、カリフォルニア州サンフランシスコでカート・ヘニングがニック・ボックウィンケルからAWA世界王座を奪取。メンフィスでもジェリー・ローラーを相手に何度か防衛していくが、1988年5月9日ローラーがヘニングを破り遂に念願の王座奪取。その後ローラーはジェリー・ジャレット派の地区はもちろん、AWAが興行する中西部やネバダ州ラスベガス、更にはコネチカット州ニューヘブンでも王座を防衛。そして1988年12月13日、イリノイ州シカゴでWCWA世界王者ケリー・フォン・エリックを破り統一世界王者に認定される。
AWA世界ヘビー級選手権: カート・ヘニング(王者) vs ジェリー・ローラー
だが、この興行でAWAからのギャラが支払われなかったことを理由に、ローラーはAWA圏での防衛戦を拒否。結果、AWAは「防衛戦を行わない」としてローラーから王座を剥奪するが、既にテネシー州やWCWAの本拠だったテキサス州で統一王者として活動していたローラーは引き続き保持する王座を防衛。そしてメンフィス地区も、CWAとテキサスのWCWAが合併し、新たにUSWAを発足、改めてローラーを統一世界王者に認定した。USWAの勢力範囲外でも、時としてWWFやNWAには関連していないインディペンデント興行などでローラーは統一王座を防衛。マスター・オブ・ペイン(ジ・アンダーテイカー)、テリー・ファンク、エディ・ギルバート、オーエン・ハート、ランディ・サベージといった多くの強豪達と統一王座を巡って抗争を繰り広げていった。
1988年、テッド・ターナーがジム・クロケット・プロモーションズを買収しWCWを設立。1989年2月には、イリノイ州シカゴでリッキー・スティムボートがリック・フレアーからNWA世界王座を奪取。5月7日にナッシュビルで行われた再戦では、リングサイドにルー・テーズ、パット・オコーナー、そしてテリー・ファンクという元王者3人が特別ジャッジとして陣取る中、フレアーがスティムボートから王座を奪回した。
1991年9月、NWAとWCWの両団体から世界王者に認定されたいたリック・フレアーがWCWから解雇および王座剥奪をされると、間もなくWWFと契約。この緊急事態にNWAもフレアーの王座を剥奪した。空位となったNWA王座決定戦として、WCW王者レックス・ルガーと、USWA統一王者ジェリー・ローラーとの対戦がメンフィスで計画されていたが、両団体の間でその後の流れについて同意に至らず、結局中止となった。その後USWAは1993年にWWFと選手育成団体としての契約を結び、ローラーもWWFからの刺客を相手に統一世界王座を防衛していくが、USWAは1997年末に閉鎖。
1995年12月27日、ナッシュビルでリック・フレアーがランディ・サベージを破りWCW世界王座を奪取。同王座がテネシーで移動したのはこの時だけだった。
1997年2月16日にはチャタヌーガでWWFがPPV大会を開催。空位となっていたWWF世界王座の決定戦がブレット・ハート、スティーブ・オースティン、アンダーテイカー、ベイダーの4ウェイイリミネーション戦で行われ、ブレットが勝利。テネシー州内で同王座が栄冠されたのは初めてのことだった。だが翌日ナッシュビルからの『マンデー・ナイト・ロウ』生中継でサイコ・シッド(シッド・ビシャス)がブレットから王座を強奪。
2001年3月、WCWの商標をWWFが買収。しばらくWWFによる独占が続くと思われたが、翌2002年5月ジェリー・ジャレットはNWAと提携し、息子のジェフと共にナッシュビルを本拠とした新団体TNAを発足。NWAの世界ヘビー級とタッグ王座がTNAの管理下となり、ジャレットは毎週ナッシュビルからのPPV生中継を開催した。そのため同年3月に東京で橋本真也から奪回したばかりのダン・スバーンがNWA世界王座を剥奪され、6月19日にアラバマ州ハンツビルで開催されたトーナメントに優勝したケン・シャムロックがNWA王者に認定された。再び全国的にNWAが注目されることになり、その後2004年9月にTNAのテレビ収録がフロリダ州オーランドに移るまで、ナッシュビルでNWA世界王座の防衛戦が続けられた。その間NWA加盟団体でも時折防衛戦が行われたが、TNAとの契約解除後もテネシー州内に幾つか加盟団体が存在したため、数多くのNWA世界王座防衛戦が州内で開催された。
2008年12月6日、ROHが初のテネシー州大会をナッシュビルで開催。メインイベントではナイジェル・マッギネスがジェリー・リンを破りROH世界王座を防衛した。また2014年6月22日には同じくナッシュビルでマイケル・エルガンがアダム・コールから同王座を奪取。州内では初の同王座移動だ。
2017年9月16日には、メンフィスから車で3時間のところにあるアーカンソー州ホットスプリングスで、当時のNWA世界王者ティム・ストームにジェリー・ローラーが挑戦し話題を呼んだ。同年12月、ニュージャージー州でニック・オルディスがストームから王座を奪取。翌2018年9月にイリノイ州シカゴでコーディ・ローデスに王座を奪われるが、10月21日にはナッシュビルで開催されたNWA発足70周年記念大会で奪回。
TNAは2017年、カナダのアンセム・スポーツ・エンターテイメントに買収されインパクト・レスリングに改称。主にフロリダ州オーランドでのテレビ中継が続いたが、会社の本拠はナッシュビルにあり、2020年のCOVID-19によるパンデミックの際にも主にナッシュビルから試合が中継され、何度も同地で世界王座が移動した。
AEWおよびAAA世界王者ケニー・オメガがリッチ・スワンからインパクト世界王座を奪取し、三冠同時保持を達成したのもナッシュビルだった。
これまでの流れから、WWEによるテネシー州内での主要興行や世界王座移動はあまり期待できない。一方、AEWはニューヨーク市やフロリダ州オーランド以外にも、バージニア州ノーフォークやノースキャロライナ州グリーンズボロといった中都市からのテレビ中継も続けており、将来的にはナッシュビルやメンフィスでの大会開催の可能性も十分ある。
また、小規模ではあるが、現在のNWAもこれまで何度かテネシーやケンタッキー州での興行も開催しており、今後もインパクト・レスリングやNWAによるテネシー州内での主要大会における世界ヘビー級選手権試合が予想される。
資料元:
- Wrestling-Titles.com
- The Tennessean (ナッシュビル)
- Commercial Appeal (メンフィス)
- The Knoxville Sentinel
- The Daily Times (チャタヌーガ)
