本当は、待ったく別の内容のことを書こうと思ったが、急にニュースが入ってきたうえ、20日0:45am現在Yahoo! JAPANスポーツナビも日刊スポーツでも未だ報道されてないんで、これを書くことにした。
自分が渡米する数ヶ月前に、体中に刺青をしたアメリカ人レスラーが初来日し、新日本プロレスに参戦した。当時の新日は、伝統の金曜夜八時から、月曜八時の山田邦子を司会にしたバラエティ形式の番組になる直前くらいで、低迷期と言っても過言ではなかったので、正直、「これまた見せかけだけの外国人かな。」とか思ってみていた。ニュージャージーで『モンスター・ファクトリー』というプロレス学校を経営しているという彼の師匠のラリー・シャープという男も実は知らなかった。
でもなんだかんだ言って、見てて結構面白い選手だった。でも自分はというと、4月には日本を離れ、しばらく日本のプロレスからは遠ざかってしまう。当時のアメリカのプロレスは、ハルク・ホーガン人気も真っ只中。アントニオ猪木がまだ現役で頑張ってた新日を見て育った自分にとっては、プロレスというのはアメリカに来て大きな期待ハズレだった事の一つだった。
87年9月にテネシーの高校に編入し、ある日テレビを見てると、WWF (現WWE)の番組に、ホーガンの仲間として、テレビカメラに向かって刺青男がニコニコ喋ってるじゃねぇか。新日では久々に見る恐怖の外国人レスラーとして活躍してた男が、アメリカではただのギミック屋なのか…と残念がったもんだ。
結局WWFでは長続きせず、翌年再び新日に戻ってきた。丁度自分が夏休みに帰国してる間に彼の日本での試合を久々にテレビで見れたのをよく憶えている。
数年間新日で活躍した後、総合格闘技でキモに負けたり、WWFで元NFLスターのローレンス・テイラーに負けたり、引き立て役を演じてはいたが、そういう部分でも彼の有能さを発揮できてた様な気もする。事実ECWやWCWでもタイトルを獲得し続けた。そして2004年11月には正式に引退。
太めの選手なんだが、動きが機敏。ちゃんと売り出してもらえれば、日本やアメリカだけではなく、メキシコでも通用した選手だった。
そのバンバン・ビガロが昨日(1月19日)、フロリダの自宅で死体で発見されたらしい。殺人の可能性もあるという。45歳。
超残念。
RIP.