テキサスの思い出(6) – 帝王復活…?

短命結構。

カテゴリー: テキサスの思い出 , 観戦 [生]

1994年11月22日、ダラスでのWWF初観戦の約3ヶ月後、感謝祭の休みを利用して、車で3時間以上走りオースティンに向かった。

テネシーの高校の同級生や、インターネットで英語圏のファン達に対して共に『puroresu』という言葉を普及させた同志のKさん他、友人が数人住んでいたので、時々オースティンに行くことはあった。州都だというのを聞くと堅苦しい印象を持つかもしれないが、実際には、テキサス大学の本校もあって世界中から学生が集まり、ブルースなどの音楽も盛んで多くのバーやクラブが並び、感じのいい町だ。今ではSXSWという音楽祭や映画祭も含む一大イベントのために、毎年3月に世界中から人々が集まるくらいだ。

今回は、時々オースティンからダラスのスポータトリアムまでわざわざ来てた観戦仲間のCのアパートに泊まらせてもらい、翌11月23日、2人で更に1時間車を走らせ、サンアントニオのフリーマン・コロシアムへWWFのPPV『サバイバー・シリーズ』を生観戦しに行った。

別に8月に観に行って以来WWFにハマってたというわけじゃないが、今回は、小中学生だった自分が毎週金曜8時に新日本プロレスのテレビ中継を観てた頃、時々来日して、対戦したりタッグを組んだりとアントニオ猪木の良きライバルで、自分も結構好きだったボブ・バックランドが出場とのこと。

とはいえ、実は前年も、それもダラスまで来ていたのだが、そこまでして観に行きたいとは思わなかった。だが、何故今回、車を数時間運転してでも観たかったのか。

1992年、約8年ぶりにWWFに復帰して間もなく、髪も短めに切り悪役に転向したバックランドは、当時WWF世界ヘビー級王者ブレット・ハートと抗争中で、おそらく王座を奪取するだろうという噂が流れていたからだ。もしそうでなかったとしても、今回を逃したら、かつて『ニューヨークの帝王』と呼ばれた大物を生で観る機会は訪れてこないのではないかとも思った。

会場に行く途中、2人でちょっと腹ごしらえをすることに。店の名前は忘れたが、Cのお薦めでもある、地元では人気だというメキシコ料理屋に入った。そこで初めてメヌードというハチノス(牛の第二胃)のスープを喰って感動した。以後、どのメキシコ料理屋に行っても、あると必ず注文する(場所によってはメヌードでは通じず、パンシタという)。

余談だが、テキサス風のメキシコ料理を『Tex-Mex』というが、よく誤解されるのは、ニューヨークに住んでると、特に日本人から、「テキサスだと、やっぱテクス・メクスでしょ?」とか言われる。でも実際には、テキサスの様にメキシコに近い方が、本物のメキシコ料理に出逢う機会が多いような気がする。むしろ、メキシコから遠い地域の方が、アメリカ人にとって食べ易すそうな『テクス・メクス』が多いのではないだろうか。

会場に到着し、車を停めて建物に向かうと、当然のことながら長蛇の列。11月とはいえ、テキサスでも比較的南の方なので、それほど寒くはなかった。地域柄なのか、ダラスの会場以上にメキシコ人が目立った。

列が進むのを待っていると、いきなりCが辺りを見渡し、結構大きめの声で笑いながら言った。

「いやぁ、メキシコ人ってのは、本当に背が低いよなぁ。」

さすがに超焦った。確かにCは、173~174cmある自分を見下ろせるくらいの長身。だからと言って、周りに聞えそうな声で言うなっつうの。

その時、あることに気付いたんで、言ってやった。

「っつうか、おめぇこそ、メキシコ人じゃねぇか!」

「だから言えるんだよ。しかし、みんな背が低いなぁ…。」

くどいとは思ったが、まぁ確かに、白人に言われるのと(生まれも育ちもテキサスのCはスペイン語が殆ど喋れないとはいえ)『同胞』に言われるのとでは、捉え方が違うんだろう。誰も文句言ってこなかったんで、とりあえず安心した。(笑)

その後、2人でプロレスの話題で盛り上がってると、うちらが相当なマニアだということに気付いたのか、後ろに並んでた男性が言ってきた。

「バックランドなんて、どうせ勝たないだろ。」

おそらくテキサスで生まれ育ち、これまでハルク・ホーガン以降のWWF以外はテキサスのプロレスしか見ず、偉そうに語ってるが実はバックランドのことを殆ど知らないんだろうと推測したうちらは、思わず顔を見合わせてしまった。

そしてCが言った。

「バックランドってのはな、ホーガンの前に何年もWWFチャンピオンとして色んなとこで試合してたんだよ。こいつも日本に住んでる頃に、来日して日本のテレビに出てたバックランドを観てファンになって、そして今日わざわざダラスからこうして観に来てんだよ。」

それを聞いて黙り込んでしまったその男には、うちらが相当嫌味な連中に思えたことだろう。(笑)

肝心な試合はというと、固め技のみで決着がつくというルールで、観客席の最前列でブレットの両親スチュとヘレンが見守る中、バックランドのセコンドには、これまた悪役として兄ブレットと抗争中だったオーエン・ハートがついた。

バックランドは何度も繰り返しブレットにチキンウィングフェイスロックをかける。しまいにはブレットも逃げ切れず何分間もかけられっぱなしで、かつて日本で藤波辰巳と試合をした際、実況担当だった古舘伊知郎に『長過ぎたショートアームシザーズ』と言われた時のことを思い出した。

そしてリング下のオーエンが母ヘレンに、「これ以上、兄貴が苦しむのを見てられない。腕が折れそうじゃないか。お願いだから、タオルを投げ入れてやってくれ。」と頼み込む (リングから遠かったうちらには当然何を言ってるのか聞えなかったが、後日ビデオレンタルで借りて確認)。一度は、父スチュに止められたが、執拗に頼み続けるオーエンと、リング上で苦しみ続けるブレットの、2人の息子達の姿に折れたヘレンがとうとうタオルを投入し、バックランドが晴れて(?)王座を奪取。

試合結果(左側が勝者):

  • ボブ・ホリー vs クワン [TNTことサビオ・ベガ]
  • 5対5イリミネーション戦: レイザー・ラモン & ブリティッシュ・ブルドッグ [デイビー・ボーイ・スミス] & 1-2-3キッド & ファトゥー & シオネ [コンガ・ザ・バーバリアン] (21:45) ディーゼル & ショーン・マイケルズ & ジェフ・ジャレット & オーエン・ハート & ジム・ナイドハート
  • 4対4イリミネーション戦: ジェリー・ローラー & チージー & スリージー & クイージー (16:05) ドインク・ザ・クラウン & ディンク & ピンク & ウィンク
  • WWF世界ヘビー級選手権(サブミッションマッチ): ボブ・バックランド (35:11 TKO) ブレット・ハート
    ※ 王座移動
  • 5対5イリミネーション戦: バンバン・ビガロ & キングコング・バンディ & タタンカ & トム・プリチャード & ジミー・デル・レイ [ジム・バックランド] (23:21) レックス・ルガー & ビリー・ガン & バート・ガン & アダム・ボム & メイブル
  • 棺桶マッチ: ザ・アンダーテイカー (15:24) ヨコヅナ
    ※ 特別場外レフリー: チャック・ノリス

アンダーテイカーの入場はいつもの通りの凄い反応だったが、意外と盛り上がりに欠けたと感じたのは、前年から放送中だったテレビドラマ『Walker, Texas Ranger』(邦題は『炎のテキサス・レンジャー』とかいうらしい)で主役だったノリスの登場。実はテキサス人が嫌うオクラホマ出身なのをみんなが知ってたからか、それとも本当にメキシコ人客が多く、あんなドラマはどうでもよかったのか、それとも自分が座ってた場所でそう思えただけで、実はかなり盛り上がったのか、わざわざ再度その日のビデオを観てまで確認してみようとは思わない。(笑)

どうせバックランドは、そのキャラのせいか、短命王者だろうと思いながらも、とりあえず、1983年12月にアイアン・シークに同王座を奪われて以来の『栄冠』を観れた自分は満足して会場を去り、Cのアパートでもう1泊させてもらった。

だが、短命も短命、3日後の26日には、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで、テレビ中継のないままディーゼル(ケビン・ナッシュ)に王座を奪われてしまう。それも、1963年5月、ブルーノ・サンマルティノバディ・ロジャースから同王座を奪取した48秒を更に下回る8秒という短さでディーゼルが勝ったと聞き、多少怒りを感じたのを覚えている。わざわざサンアントニオまで観に行った王座奪取が多少台無しになったような気がしたというのもあったが、元々ディーゼルってのが自分にとってはつまらない選手だったし、以後1年間王座を保持し続けたのも説得力を感じられなかった。

結局、今現在バックランドを生で観たのはあれっきりだが、試合自体は楽しめたし、かつて6年近く保持したWWF王座にもう1度就く姿を目に焼き付けることができたんで、本当に行っといてよかったと思う。


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