これまでプロレス界では、王座を保持していた選手が、ベルトを持ったまま他団体に移籍することが何度もあったが、自分が思い出せるだけ挙げてみる。
NWA世界ライトヘビー級王座
1960年7月、ゴリー・ゲレロがレイ・メンドーサから奪取。1963年8月、アリ・ベイに敗れ王座を失ったが、翌月奪回。
だがゲレロは1966年12月、NWAから同王座の管理を任されていたEMLLを離脱し、剥奪されたにも関わらず、そのままベルトを持ち去り、地元エルパソで興行を始めるも、選手としての活動を続け、1972年まで同王座を主張。
EMLLは、新王座決定トーナメントを開催、1967年8月の決勝戦でレイ・メンドーサがドリー・ディクソンを破るが、ベルトは新しく用意されたものだった。
NWA北米ヘビー級王座 (中南部版)
1972年5月、ビル・ワットがデール・ルイスから奪取。1973年8月、中南部地区を離脱し、フロリダ地区に転戦。同地区やジョージア地区で王座を防衛した。
中南部では、同年11月にベルトを新しく用意し、王座決定トーナメントを開催、タンク・モーガンが優勝。1975年にはワットが中南部地区に戻り、11月には統一戦で当時の同地区版王者キラー・カール・コックスを破る。
ジョージア州王座
1972年8月、当時ジョージア地区において、選手としても運営者の1人としても重鎮だったレイ・ガンケルが急逝。10月には未亡人のアンが20人以上もの選手を連れてオール・サウス・レスリング・アライアンス(ASWA)を設立、同州ヘビー級、タッグ、ブラスナックルの3王座が新興団体に流出。ASWAは1974年11月までの2年間、NWA対抗勢力として興行を続けた。
IWAインターナショナル・タッグ王座
1975年1月、当時プロ野球チームのシカゴ・ホワイトソックスのオーナーだったエディ・アインホーンがNWAに対抗勢力として旗揚げしたインターナショナル・レスリング・アソシエーション(IWA)認定の選手権で、ミル・マスカラスが現在も保持する世界ヘビー級選手権のタッグ版だが、ヘビー級同様、どちらかというと、『世界』より『インターナショナル』王座として紹介されることが多かった。
初代タッグ王者には、前年までジョージア州ASWAで世界王座を保持していたジートとボロのモンゴルズが認定された。だが、モンゴルズは1976年1月、ベルトを持ったままNWA系ミッドアトランティック地区に転戦、『インターナショナル王者』として登場し、同地区認定NWA世界タッグ王者組、ジーン・アンダーソンとオレイ・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーと抗争を展開。
だが、旗揚げから僅か9ヶ月でプロレス団体運営を断念したアインホーンに代わり、IWAの実権を握っていたジョニー・パワーズが、ジム・クロケット・プロモーションを訴えたため、1976年春には、広告などから、モンゴルズの保持していたインターナショナル王座の名が消えるが、アンダーソン組がNWAとIWAの両王座のベルトを持っている写真が残っていることから、同じ時期にNWA世界王座に統一されたと考えられる。
NWA世界ジュニアヘビー級(インターナショナル)王座
NWA本部が正式に認定する3世界王座のうち、ジュニアヘビー級を管理していたのは、オクラホマ地区のレロイ・マクガークだったが、1979年4月には、ルイジアナとミシシッピの両州をビル・ワットに売却することにより地区が縮小、同年秋には世界ジュニアヘビー王者ネルソン・ロイヤルが一時的に引退し、同王座の管理は曖昧になっていた。
その状況を利用するかのように、同年12月、新日本プロレスは、ロサンゼルスでの王座決定戦でチャボ・ゲレロを破ったとし、スティーブ・カーンを世界王者に認定。その後、同王座はチャボ・ゲレロが保持することになるが、1980年後半、ゲレロがロサンゼルス地区からヒューストン地区に転出し、更にベルトを持ったまま全日本プロレスに移籍。同王座は後にインターナショナル王座として認定された。
インターナショナル・ジュニアヘビー級選手権: ジノ・ヘルナンデス[王者] vs チャボ・ゲレロ
※ 以前は5月22日に王座移動となっていたが、実際には当日ヒューストンの定期戦は中止で、王座移動は3月20日だった。
NWA南東部ヘビー級王座
1979年6月、テネシー州東部地区プロモーター、ロン・フラーの経営方針に不満を募らせていたボブ・ループは、ボブ・オートン・ジュニア、ロン・ガービン、ボリス・マレンコと共に、反抗勢力オールスター・レスリングを旗揚げ。南東部ヘビー級王者だったガービンはそのままベルトを持ちだした。それだけではなく、オールスターは、1980年1月にトニー・ピーターズが同王座を奪取した頃に、新聞上で、「『本物のベルト』を持ったピーターズと『レプリカベルト保持者』の(NWA南東部王者)ボブ・アームストロングが『もし登場したら』王座統一戦開催」と宣伝したこともある。
AWA世界ヘビー級王座
1986年6月、当時の王者スタン・ハンセンは、7月の全日本プロレスのシリーズでの防衛戦が決定していたにも関わらず、6月28日のデンバー大会で、バーン・ガニアからニック・ボックウィンケルに王座を明け渡すように言われた。当日会場にいながらも、それに反対したハンセンは試合に不出場したため、翌日、ガニアはボックウィンケルに王座を授与。ハンセンは予定どおり日本にベルトを持って行き防衛したが、当然のことながら、ガニアからベルトを戻すように要請された。
ただし、ベルトを送り返す前に、トラックで踏み潰したという。
NWAおよびWCW世界ヘビー級王座
1991年7月、当時NWAおよびWCW世界ヘビー級王者だったリック・フレアーは、レックス・ルガーに王座を明け渡すことを拒否した理由から、WCW副社長ジム・ハードに解雇され、WCW王座も剥奪される。その後フレアーはWWFに移籍するが、WCWとの契約が満了する前から、まずマネージャー役のボビー・ヒーナンがWWFの番組でフレアーのベルトを見せつけ、「近日中に、『真の世界王者』リック・フレアーがやってくる」と宣言。
WCWからクレームがつくが、ジム・クロケット・プロモーションからベルトを贈呈されていたという理由で、フレアー本人が登場後もベルトを巻き続けた。
その後、WCWから訴えられたが、フレアー側もNWAからのボンド金を返済されていないことを理由に、両者が法廷闘争に入り、フレアーのベルトも、WWFタッグ王座のベルトに置き換えられ、番組中はベルトにモザイク処理がかけられることになる。
GWF北米ヘビー級王座
1992年5月、ダラス地区のグローバル・レスリング・フェデレーション(GWF)で北米ヘビー級王者だったエディ・ギルバートは同団体を離脱、メンフィスに転戦し、GWF世界王者として紹介される。同年6月、USWA世界王者ジェリー・ローラーがギルバートを破り、王座『統一』。
WWF世界女子王座
1995年12月、WWFは女子部門を廃止、当時女子王座を保持していたアルンドラ・ブレイズことメドゥーサ・ミチェリも解雇される。だが、前年ハルク・ホーガンと契約し、勢いを増していたWCWはメドゥーサと契約し、WCW副社長エリック・ビショフは、テレビ中継の中で、メドゥーサにWWF女子王座のベルトをゴミ箱の中に捨てさせ、後年語り継がれることになった。
だが、2015年、WWE殿堂入りセレモニーでのスピーチの中で、ブレイズはゴミ箱から同ベルトを取り出すという演出をやってのけた。
WWCユニバーサル・ヘビー級王座
2008年1月、当時WWCユニバーサル王者だったビギー・サイズは、突如ライバル団体のIWAプエルトリコのカグアス大会に出場、王座統一戦でIWA世界王者ブリッツに敗れる。当然のことながら、WWCは同日サイズからの王座剥奪を発表。
NWA世界ジュニアヘビー級王座
『Wrestling-Titles.comについて』でも触れているが、2005年頃、新日本プロレスは、1985年にザ・コブラが返上して以降の歴史を全て無視したような形で、かつてタイガーマスクが保持していたNWA世界ジュニアヘビー級王座のベルトを復活させた。その後、同ベルトは4代目タイガーマスクから2007年にマイク・クァッケンブッシュが奪取、2010年にクレイグ・クラシックの手に渡る。
2011年7月NWAは、予定されていた防衛戦を拒否したという理由で、当時の世界ヘビー級王者オールマイティ・シークから王座を剥奪。それに抗議するという意味で、クレイグもジュニア王座を返上した。だが、クレイグはベルトをNWAにも新日本にも返さず、そのままゼロワンに持って行き、NWA王者として防衛し続けた。
これら以外にも、1970年代後期から1980年代初期にかけて、イギリスのジョイント・プロモーションから、オールスター・プロモーションへ多くの選手達が移籍し、それにより多数の王座が流出している。
