ダラス角力史 – 第弐章

1900年代

カテゴリー: ダラス角力史

南北戦争が終った1865年から19世紀末までは復興の期間だったテキサスだが、 プロレスという面においては、 20世紀に入ってからも、すぐに状況が良くなることはなかった。

1900年末から1901年前半にかけて、ダラスのターナー・ホールを中心に、ルイス・キャノン、ハリー・コバート、 W・J・マリーの3人による抗争が繰り広げられたが、連日新聞上で試合が紹介されたり、選手同士の手紙が掲載されたりしていたにも関わらず、決して観客は多くなかった。

だが、1900年代中期に入ると、ダラスのプロレス界にも少しずつ 隆盛が訪れてきた。

1904年11月には、ジョー・ケルシーがヤング・ジェンキンズを破り、テキサス州ライト級王座を奪取。試合翌朝の新聞では、観客数こそ多くはなかったが、集まっていたファン達は相当喜んで会場を後にしたと報道された。

翌1905年3月、『ダラス・モーニング・ニュース』紙は、ケルシーと挑戦者エメット・ディクソンとの試合に関する記事を『レスリングの復興』と題した。1860年代中期、ジャック・エバーハートの世界ライト級ボクシング王座栄冠で盛り上がっていた頃に比べると、ダラスのスポーツファン達の興味はプロレスに移っているという内容だった。2人は期待の新鋭として 写真付きで紹介され、ケルシーがディクソンの挑戦を退けた試合は「稀に見る大観衆」とのことだった。

ケルシーは1905年12月、エド・グッドマンに奪われるまで州王座を保持したが、グッドマンは1906年11月に引退。12月には王座決定戦でケルシーがウォルター・シャーラーを破り、再び王者に君臨し、1909年まで保持した。

ジョー・ケルシー
ジョー・ケルシー

1908年2月21日にはターナー・ホールで 、テキサス州ウェルター級選手権試合が行われ、王者ジョー・サビニをカール・ウォレスが破り、王座を奪取した。後にサビニが奪回するが、4月17日、ジャック・トレイソンに敗れ王座転落。

NWA全盛の1950~1980年代からは想像もつかないが、当時のダラスのプロレスは割と軽量級が盛んだった。

だが、1908年2月、ついに超大物ヘビー級選手のダラス地区参戦が発表される。

米国ヘビー級王者フランク・ゴッチが、4月に予定されている世界ヘビー級王者ゲオルグ・ハッケンシュミットとの選手権試合に先駆け全米ツアーを行い、ダラスも含まれる予定だという。そこで、「ゴッチには興味ないが、ダラスのファンのみんなを喜ばせたい。」と名乗りをあげたのは、チャーリー・ジョーンズ。だが、消防士を本職とするジョーンズは、ヘビー級だったせいか、軽量級が盛んだった地元では相手不足で、時々試合に出場する程度だった。当時のダラスの重量級選手層の薄さが判る。結局、全米ツアーは行われず、3月に入るとゴッチは対ハッケンシュミット戦のためのトレーニングに専念。1908年4月3日、シカゴでゴッチはハッケンシュミットを破り、世界ヘビー級王座を奪取した。

1908年5月、ダラスでゴッチとエミール・クランクとの試合が6月に行われることが発表されたが、これもまた延期になり、最終的には7月にテキサス州ツアーとしてダラス、ヒューストン、ガルベストンでの試合が発表された。7月15日、ダラスのガストン・パークという野球場に集まった2千5百人の観衆の前で、ゴッチは3人の選手と対戦。消防士のジョーンズを3分、B・T・ウィリアムスを6分、そしてクランクを11分でそれぞれ破った。だが実は、クランクは前年ゴッチのマネージャーに就任、以来ゴッチの対戦相手を兼ねて共にツアーをしていた。

1909年、インディアナポリスのW・H・バートンが、オクラホマシティのプロモーターにもなったことから、同年330kmと(米国的感覚では)比較的近いダラスやフォートワースに選手達を帯同、少なくとも1月から10月までツアーをしたという記録がある。バートンは早速1月に世界ライト級王者ジョニー・ビリターを招き、州王者ジョー・ケルシーを挑戦させた。ブッシュ・テンプルで行われた世界選手権試合で、ケルシーは1本目でフォールを奪ったものの、残り2本で敗れ、王座奪取には至らなかった。

また、ダラスから50km弱ほど南にあるワクサハチーでは、1909年3月15日、テキサス州ミドル級王者ビリー・シャッペルとカンザス州同級王者ジム・ダウニングが対戦、ダウニングが勝利し、保持していたオクラホマ州王座と併せて、3州王者に君臨。翌4月後半からは、1912年にユタ州に移転するまで南部王座を主張した。

1909年3月24日、テキサス州ライト級王者ジョー・ケルシーは、テネシー州王者を名乗るナット・スターンズを破り、南部王座を主張。8月にはW・マキシミリアンに敗れるが、1904年に州王座を奪取して以来、1900年代の大半をライト級の重鎮として君臨した。

1909年9月3日には、サイクルパークでユシフ・フセインがウィリアム・デメトラルを破り、世界ライトヘビー級王座を奪取したが、これはバートンの興行ではなく、前年フランク・ゴッチに挑戦した消防士チャーリー・ジョーンズの主催だった。

そして、1910年代には、このジョーンズがダラスで重要な位置を占めることになる。


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