1930年1月時点での選手権保持者:
1920年代、ダラス地区におけるプロレス興行で成功を収めていたと思われたバート・ウィロビーとジャック・フォックスだが、次第に意見の食違いが生じ、1928年末には、フォックスがダラスからフォートワースに拠点を移し、クラニー・クランフォードをパートナーに独自で興行を始める。当初フォックスは、ヘビー級やライトヘビー級といった重量級を中心にしようとしていたウィロビーに対抗して、動きの速いミドル級やウェルター級の選手達を売り出すという方針だったが、実際にはダラスもフォートワースも様々な階級の選手達が活躍した。
ダラスではウィロビーが相変わらずビリー・エドワーズやジョン・シムカス、アル・カラシックといったライトヘビー級を起用。1930年1月13日の市役所講堂大会は満員で、約500人が会場に入れなかった。また3月3日には、フェアーパーク・ライブストック・アリーナに6,000人近くが集まり、世界ヘビー級王者ガス・ソネンバーグがフレディ・マイヤーズの挑戦を2本ストレート勝ちで退けるのを観戦。
1930年2月、ナショナル・ボクシング・アソシエーション(NBA、現在のWBAの前身)がプロレス選手権の認定を発表。2月21日、オハイオ州シンシナティで、以前から世界ウェルター級王座を主張しダラス地区にも参戦していたジャック・レイノルズがチャーリー・グリップを破り、NBAから正式に認定。テキサスでも世界ミドル級王者として活躍していたヒュー・ニコルズは、同年王座を返上し、4月4日、同じくシンシナティで開催された世界ライトヘビー級王座決定戦でジョー・バナスキーを破りNBAから認定された。世界ミドル級王座は、前年ニコルズに破れ王座を奪われていたガス・カリオが4月9日、同州コロンバスで行われたNBA認定プロレス王座決定トーナメント決勝でレイ・カーペンターを破った。
新しくNBAから認定されたウェルター級王者ジャック・レイノルズは1930年4月14日、ダラスでバート・カーンを破り王座を防衛。約8,000人という、前月同会場で開催された世界ヘビー級選手権試合を上回る動員数だった。
同年9月には、NBAプロレス部がナショナル・レスリング・アソシエーション(NWA、1948年発足のアライアンスとは別団体)として改めて発足。その後もニコルズ、カリオ、レイノルズらNWA認定世界王者達はダラスやフォートワースでも王座を防衛した。
1924年、ウィロビーと共にダラスに初のプロレス専用会場『フォックス・ウィロビー・アスレチック・アリーナ』を建てたフォックスだが、1932年5月にはフォートワースでも新会場を設立。通常『フォックス・クランフォード・アリーナ』と呼ばれたこの会場は、ダラス同様オープンエアで、収容人数は5,500、7,500、9,500と、新聞記事によって異なった数字が報じられていた。
だが、新会場オープンから1ヶ月も経たない1932年6月6日、惨事は起きた。フォックスと、飛行教官エルマー・モズレーが乗っていた小型機が、フォートワースから約100マイルほど西にあるシスコという町に墜落し、2人とも死亡した。悲報を聞いたパートナーのクランフォードと元パートナーのウィロビーは、直ぐに車でシスコに向かったという。

フォックスらの事故死に関する記事
パートナーを失ったクランフォードだが、その後もフォートワース興行を続け、1932年9月には、「オレゴン州セーラムで、ワイルドキャット・ピートから奪取した」としてベニー・ウィルソンを世界ジュニアミドル級王者に認定。ウィルソンは翌1933年1月、エディ・オシェイに王座を奪われ、2月にはベニー・バーテイがオシェイから奪取するが、4月の時点では再びウィルソンが王座に就いていた。同王座は1937年12月、ダラスやフォートワースから80マイルほど離れたとこにあるコーシカーナでレッド・ロジャースがジャック・ゴーマンから奪取するまでフォートワースを中心に防衛された。尚、クランフォードは少なくとも1933年まではドン・フォックスと興行を続けていたが、1934年にはドンとサイクロン・フォックスが手掛けるようになっていた。
1933年1月、テキサス初の女性知事ミリアム・ファーガソンが2度目の就任、ジャック・フリンという人物を州労働局のコミッショナーに任命した。間もなく労働局はボクシングやプロレスの管理も担当することになり、同年9月1日からはフリンをコミッショナーとして正式に州の管理下でNBAやNWAの規約に則り両競技の興行が開催されるようになった。
同じく1933年には、テキサスのすぐ北側に隣接するオクラホマ州出身で、1931年にNCAAのレスリング155ポンド級トーナメントで優勝したレロイ・マクガークがプロ転向し、間もなくダラス地区にも参戦。9月5日、フェアパーク・アリーナで行われたダラス初の州管轄興行のメインイベントでジョージ・サワーを破ったのもマクガークだった。翌1934年4月には、地元オクラホマ州タルサでヒュー・ニコルズから世界ライトヘビー級王座を奪取し、当然のことながらテキサスでも防衛するようになる。
1934年、テキサス州労働局は、南部ヘビー級選手権の設立を発表。同名の王座は、1920年代にヒューストンにも存在したが、1929年にルディ・デュセックが地区を離脱した際、空位になっていた。ダラス地区版としては、1934年7月23日にダラスでホアン・ウンベルトがグレン・ウェイドを破り初代王者に認定された。同年12月、一度ビリー・エドワーズに奪われたが、翌1935年2月の時点ではウンベルトが再び保持。

また、1934年11月にはNWA世界ヘビー級王者ジム・ロンドスがテキサスに参戦、8日にはフォートワースで挑戦者決定トーナメントに勝ち抜いたポール・ジョーンズ、12日にはダラスで6,000人近い観衆の前で南部王者ウンベルトをそれぞれ破り王座防衛。世界王座奪取には至らなかったウンベルトだが、ダラス地区では1930年代の大半において主要ヘビー級選手の1人として活躍した。
NWAおよび州の管轄として、正式に地区選手権も認定され、本格的にプロの競技として確立されたダラスのプロレスだが、1935年には、更に同地においてプロレスが長年定着するのを予想させる出来事が起ころうとしていた。
1934年12月時点での選手権保持者:
- 世界ヘビー級: ジム・ロンドス
- 世界ライトヘビー級: レロイ・マクガーク
- 世界ミドル級: ガス・カリオ
- 世界ジュニアミドル級: ジャック・ゴーマン
- 世界ウェルター級: ジャック・レイノルズ
- 南部ヘビー級: ビリー・エドワーズ
資料元:
- Wrestling-Titles.com
- Dallas Morning News
- Fort Worth Star-Telegram
