NWA・USヘビー級選手権 (下)

1970年代以降

カテゴリー: NWA , WCW

プロレスにおける米国選手権の名称は、『US』(ユナイテッド・ステーツ=合州)、『アメリカン』、『ナショナル』(全国)と様々だが、NWA加盟団体が認定していたUSヘビー級選手権を中心に3回に分けて書いてきた。今回は最後で1970年代以降。

1960年代には多くのNWA系USヘビー級王座が乱立していたが、自然消滅や一時的に休止したもの、単発的に終わったものがあり、1970年代に入った時点でUS王座として存在していたのは、デトロイト版サンフランシスコ版のみだった。

デトロイト地区は、1967年にアル・ハフトのMWAが撤退するとオハイオ州コロンバスにも即進出。1970年代前半をプロモーターだったザ・シークがボボ・ブラジルとの抗争で盛り上げた。2人はカナダのトロントや、1971年に再度NWAに加盟したWWWFを含む他地区でもUS王座を巡り抗争を続けるくらいの人気だった。

ザ・シークとボボ・ブラジルの抗争は全米各地で展開。1973年5月18日にジョージア州アトランタで行われたUS選手権試合では、王者シークがブラジルに反則勝ちで防衛。

サンフランシスコ地区は1968年にNWA加盟。翌年にはトップヒールだったレイ・スティーブンスがタッグパートナーのパット・パターソンと仲間割れをし、ベビーフェースに転向、2人の間で抗争が始まったが、1971年、スティーブンスはAWA地区に転戦。その後数年間、スティーブンスに代わりパターソンがトップヒールに君臨した。かつてインディアナで選手として活躍していたプロモーターのロイ・シャイアーが同地区で旗揚げをした際の黒幕が、シカゴ版US王座をデトロイトおよびインディアナポリスに移したジム・バーネットということもあってか、サンフランシスコ版のUS王座のベルトは、1950年代にシカゴ版初代王者バーン・ガニアが巻いていたものだった。

一方、東海岸のカロライナ地区では、1972年3月頃から少しずつテレビに『ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング』という番組名が使われ始めるが、翌1973年、プロモーターのジム・クロケット・シニアが他界し、後を継いだジム・ジュニアが本格的にミッドアトランティックというブランドを確立し始める。東部ヘビー級および大西洋岸タッグ王座もミッドアトランティック選手権に改称。更には1975年、「フロリダで開催されたトーナメントに優勝した」としてハーリー・レイスUSヘビー級王者に認定。7月にはジョニー・バレンタインがレイスを破り奪取するが、10月4日、リック・フレアーらと共に乗っていた飛行機が事故に遭い、再起不能となり引退。11月に王座決定トーナメントが開催され、テリー・ファンクが優勝した。以降、US選手権はポール・ジョーンズとブラックジャック・マリガンや、フレアーとリッキー・スティムボートの抗争などにより、長年同地区の看板王座となった。更には1977年、トロント地区はデトロイト地区からの選手の招聘を止め、翌1978年からはミッドアトランティック地区と協力関係に入ったため、トロントにおいてもミッドアトランティック地区認定の各王座が防衛されるようになった。

1975年11月9日 ノースカロライナ州グリーンズボロ
USヘビー級王座決定トーナメント
1回戦
ルーファス・R・ジョーンズ (フォール) スティーブ・ストロング
テリー・ファンク (フォール) レッド・バスチェン
ブラックジャック・マリガン (フォール) ケン・パテラ
ダスティ・ローデス (フォール) ボリス・マレンコ
ワフー・マクダニエル (フォール) ビリー・グラハム
ハーリー・レイス (フォール) タイガー・コンウェイ・ジュニア
ポール・ジョーンズ (フォール) オレイ・アンダーソン
ジョニー・ウィーバー [レイ・スティーブンスの代理] (20分 判定) ジン・アンダーソン
2回線
テリー・ファンク (フォール) ルーファス・R・ジョーンズ
ダスティ・ローデス (フォール) ブラックジャック・マリガン
ハーリー・レイス (反則) ワフー・マクダニエル
ポール・ジョーンズ (フォール) ジョニー・ウィーバー
準決勝
テリー・ファンク (反則) ダスティ・ローデス
ポール・ジョーンズ (フォール) ハーリー・レイス
決勝
テリー・ファンク (フォール) ポール・ジョーンズ
📷 – @allan_cheapshot on twitter

同じ頃、隣のジョージア地区にも大きな変化が訪れていた。1971年から同地区の試合を放送していたテッド・ターナー所有のUHF局WTCG(後のWTBS)が、1975年にケーブルテレビ、翌1976年には衛星放送に参入することにより、ジョージア地区の試合が全米でも見れるようになった。1980年にはNWAナショナル・ヘビー級王座を新設、ジョージア州タッグ州テレビ王座もナショナル選手権に改称。州ヘビー級王座も翌1981年、ナショナル王座に統一され、王座の名称が全て、地域規模から全国的なものになった。

1970年代中期、黄金時代が始まろうとしていたミッドアトランティック地区とは裏腹に、デトロイトとサンフランシスコはそれぞれ別の理由で下降気味だった。

サンフランシスコでは、プロモーターのロイ・シャイアーの悪癖が影響していたようだ。中継していたテレビ局のスタジオでは、噛みタバコの唾を吐き、平気で床を汚すことが続き、収録の許可が下りなくなったため、シャイアーはサンフランシスコ近辺の多くのテレビ局に交渉しに周ったが、ネットワークの少ない局や、広範囲で電波が届かないUHF局などしかスタジオの使用を許可してくれなかったという。またその脅迫的な態度により、選手達や地区傘下のプロモーター達と問題を起こすこともあった。挙句の果てには、トップ選手だったパット・パターソンが1977年、地区を離脱、フロリダに転戦後、翌1978年からはAWAに数年間定着する。

間もなくシャイアーはテレビ収録のできるスタジオを完全に失う。隣のオレゴン地区からの映像や選手達を借り興行を続けたが、主要会場だったカウ・パレスでの大会を開催することなく提携が破談となる。その後、セントラルステーツ地区MSWAからも選手や映像を借りたが、これもまた長くは続かなかった。最終的には、米国本土内では最も遠いフロリダ地区と提携し、ダスティ・ローデスやマイク・グラハムらが参戦。1980年11月、空位となったUS王座の決定戦でローデスがディック・スレーターを破るが、結局最後の王者となった。1981年1月15日にはバーン・ガニアのAWAが近隣都市であるオークランドに進出、かつてサンフランシスコで活躍したレオ・ノメリーニ、レイ・スティーブンス、パット・パターソンらが登場した。シャイアーは同月24日のカウ・パレス大会を最後に引退し、以降サンフランシスコはAWA圏の一部となった。

デトロイトでは、自動車業界の衰退や、暴動まで発生した警察と黒人市民との間の確執などが経済にも影響を及ぼしていたと同時に、プロモーターでもあるザ・シークが自ら選手としても長年トップに居座っていたということからもマンネリ化が生じ、観客動員数にも陰りが見えていた。1980年10月、とうとうデトロイト地区は閉鎖。最後のUS王者シークはその後もケンタッキー州のICWなどの非NWA系独立団体を中心にUS王者を名乗り続けた。ちなみに閉鎖時点で同地区認定NWA世界タッグ王座に君臨していたのは、同年6月にジョン・ボネロ & ランディ・スコットから奪取したジャイアント馬場 & ジャンボ鶴田。

サンフランシスコとデトロイトのUS王座が消滅したことにより、ミッドアトランティック版が、NWA内で唯一のUSヘビー級選手権となった。WWF同様全米規模への拡大を狙っていたプロモーターのジム・クロケット・ジュニアは、1985年3月、ジョージア地区を吸収合併し、翌1986年にはナショナル・ヘビー級王座もUS王座に統一された。

1988年、テッド・ターナーがジム・クロケット・プロモーションズを買収、看板番組の名称だった『ワールド・チャンピオンシップ・レスリング』(WCW)がそのまま新団体名となり、1991年1月には、それまで『NWA認定』だった王座の全てがWCW認定になった。1993年、WCWはNWAを離脱。詳しくは『今尚NWAを追う(4) – WCW離脱』を。

2001年3月、WWFがWCWから映像や選手権など全ての商標の権限を買収。ミッドアトランティック地区の流れを継ぐUSヘビー級王座も、同年11月、WWFインターコンチネンタル王座に統一された。WWFは2003年7月、全く違うデザインのベルトでUS王座を新設し、WCW版を復活させたものとして認定しているが、Wrestling-Titles.comでは、あえて別の王座として扱っている。

WCWに続いてWWFがUS王座を認定していることが理由なのかは定かでないが、NWA本部がその後USヘビー級王座を認定することはなかった。1997年以降、NWA内で何度かUSヘビー級王座が認定されることがあったが、本部認定ではなく、いずれも加盟団体によるものだった。同じく1997年、NWAナショナル・ヘビー級王座が復活したが、これもまた当時ノースカロライナで加盟していた会員による認定で、正式に本部がナショナル王座を認定したのは翌1998年のこと。

NWAは2018年10月、ナショナル王座のベルトを新調。そのデザインはかつてブラックジャック・マリガンやリック・フレアーが巻いた1970年代のミッドアトランティック版US王座を基にしたものだった。

一部のNWAのファンの間では、US王座を復活させてほしいという声もあったが、現在WWEや新日本プロレスにもUS王座が存在し、そしてNWA本部が1998年以来20年以上認定してきたことを考えると、ナショナル王座で妥当なのかもしれない。

 

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