1990年代の世界ヘビー級選手権

シリーズ最終回。

カテゴリー: 世界ヘビー級選手権 , NWA , WWE・WWF・WWWF , AWA

WWFを始め、各団体が全米進出を狙った1980年代。地域制が事実上崩壊し、NWAの存在意義も揺るがされることになった。

1990年1月の時点での世界王座は以下のとおり。

1990年代の世界ヘビー級王座に関する最大の話題として、やはりNWAとWCWを巡る一連の出来事が挙げられるのではないだろうか。ECW世界王座誕生のきっかけともなったが、詳しくは『今尚NWAを追う(4) – WCW離脱』と『今尚NWAを追う(5) – 新体制発足』に書いているので、ここでは省略させていただく。WCWとECWだけではなく、新日本プロレスやWWFといったメジャー団体と関わることによって、NWAにとっては正に存続をかけた90年代だったと言えよう。

1990年2月10日、新日本プロレスは東京ドーム大会を開催。当初はNWA世界王者リック・フレアーにグレート・ムタを、そしてAWA世界王者ラリー・ズビスコに藤波辰爾をそれぞれ挑戦させ、さらにはWWF世界王者ハルク・ホーガン、IWGP王者ビッグ・バン・ベイダーによる防衛戦を行うことを狙っていたようだが、当然のことながらWWFは依頼を却下し、ライバル団体のWWFと交渉していたことを知ったWCWもフレアー参戦を拒否。試合がなくなったムタも結局不参加となった。更には、藤波も腰の負傷で出場を断念。代打でズビスコに挑戦したマサ斎藤が、日本人ではジャンボ鶴田に次いでAWA世界王座を奪取した。

1990年4月1日、カナダのオンタリオ州トロントで『レッスルマニアVI』が開催。WWF世界王者ハルク・ホーガンとインターコンチネンタル王者アルティメット・ウォリアーとのダブルタイトル戦が行われ、ウォリアーがホーガンにフォール勝ちを収めた。政権交代かと思われたが、人気こそはあったものの、実力が伴っていないウォリアーは、1991年1月にはサージャント・スローターに敗れ王座転落。2ヶ月後にはホーガンがスローターを破り、王座に返り咲いた。

新日東京ドーム大会から2ヶ月後の1990年4月8日、セントポールでラリー・ズビスコがマサ斎藤からAWA世界王座を奪回。だがこの頃のAWAは下降線を辿る一方で、WCWあたりと提携でもしない限り、長くは続かないのではないかという話も一部のファンの間ではあった。同年後半のある日、WCWがTBSで土曜夕方に放送していた看板番組『ワールド・チャンピオンシップ・レスリング』で、実況担当のジム・ロスが「来週は、AWA世界ヘビー級王者ラリー・ズビスコが登場します!」と言いながら番組を終えたことがあったが実現しなかった。結局12月にはズビスコが実際にWCWに移籍したため、AWA王座を剥奪される。翌1991年、AWAは31年の歴史に幕を閉じた。

1990年4月8日 ミネソタ州セントポール
AWA世界ヘビー級選手権: ミスター・サイトー[王者] vs ラリー・ズビスコ

1990年6月、ヨーロッパCWAのプロモーター、オットー・ワンツが同団体認定世界王者のまま引退。12月にドイツのブレーメンで行われた王座決定戦でマーク・ランボーに勝利したブル・パワー(ビッグ・バン・ベイダー)が新王者に認定。1991年7月にはオーストリアのグラーツでランボーがパワーから王座を奪取。ロードウォリアー・ホークやルドヴィッグ・ボルガ(トニー・ホーム)らに敗れ王座から転落するが返り咲き、1990年代の大半をCWA世界王者として君臨した。

1991年7月6日 グラーツ(オーストリア)
CWA世界ヘビー級選手権: ブル・パワー[王者] vs ランボー

1991年、長年NWAに加盟し世界ライトヘビー級ミドル級ウェルター級の3王座も管理していた世界最古のプロレス団体EMLLが、独自に世界王座の新設を発表。間もなく団体も新王座に合わせてCMLLに改称。6月9日、メキシコシティで行われた世界ヘビー級王座決定トーナメント決勝でコナン・エル・バルバロがシェン・カラスを破り初代王者に認定された。

1991年11月27日、ミシガン州デトロイトでザ・アンダーテイカーがハルク・ホーガンを破りWWF世界王座を奪取。だが、同年夏にWCWを解雇されWWFと契約をしたリック・フレアーが試合に介入していたことから、12月3にテキサス州サンアントニオでの再戦が決定。ここでもフレアーの介入、更には両選手による凶器の使用などがあり、WWFは王座預かりを発表。

1992年1月19日、ニューヨーク州オルバニーで開催の30人参加の『ロイヤルランブル』に空位となっていたWWF世界王座がかけられ、リック・フレアーが優勝。NWAに続きWWF世界王座奪取の快挙を成し遂げた。

1992年5月、CMLLでブッカーを務めていたアントニオ・ペーニャが離脱し、AAAを発足。当初AAAは世界王座を認定しておらず、1993年に米国進出の際、ニューヨークを本拠とするエンターテイメント専門弁護士ロン・スコーラーと提携し、ヘビー級ミドル級タッグにおいてIWCの団体名称で世界王座を認定。だが1995年ペーニャとスコーラーは袂を分かち、更にはマスカラ・アニョ2000がIWC世界ヘビー級王座を持ったままCMLLに移籍。その後も同王座はPMLLやプロモ・アステカ、IWRGなど転々とした。

同じく1992年5月、ダラス・スポータトリアムを本拠としていたGWFが認定する北米王者エディ・ギルバートが同団体を離脱。メンフィスのUSWAにGWF世界王者として登場するが、6月8日に行われたダブルタイトル戦でUSWA統一世界王者ジェリー・ローラーに敗れる。

1992年7月12日、ジョージア州オルバニーでビッグ・バン・ベイダーがスティングを破りWCW世界王座を奪取。日本のIWGP、メキシコのUWA、オーストリアのCWAに続き、4ヶ国において主要王座を奪取するという快挙を達成。

1992年9月1日、カナダのサスカトゥーンでブレット・ハートがリック・フレアーを破りWWF世界王座初栄冠。翌1993年4月4日、ラスベガスでヨコヅナがハートを破り王座を奪取するが、試合直後ヨコヅナのマネージャー、ミスター・フジがハルク・ホーガンに挑戦。そのまま選手権試合が行われホーガンが奪回した。再びホーガンによる長期政権が予想されたが、わずか2ヶ月でヨコヅナに敗れ王座転落、以後9年間同王座を保持することはなかった。ホーガンはWWFを離脱し、翌年春にはWCWと契約。

ホーガンが短期間で王座を明け渡した背景には、WWF王者のまま新日の福岡ドーム大会に出場した時のことが原因だと言われている。ノンタイトル戦でIWGP王者グレート・ムタと対戦するが、この時の記者会見でホーガンはWWFのベルトを持ったまま、「WWF王座なんておもちゃ同然。俺が本当に狙っているのはIWGP王座だ。」と発言。昔であれば、ただのリップサービスで済んだと思われるが、この頃は、Windows 95発売によりインターネットが普及する約2年前とはいえ、多くのマニア達は既に各国のプロレスのビデオテープを交換し、パソコン通信や使用が限られていたインターネットを通して、世界中のファン達と交信を始めており、ホーガンの発言が米国のファンに知られるのは時間の問題だった。

WWF世界王座を保持したまま新日福岡ドーム大会に出場し、ノンタイトル戦でIWGP王者グレート・ムタを破った後のハルク・ホーガンの記者会見。

1992年には、日本のUWFインターナショナルがルー・テーズを顧問に招き、かつてテーズがNWA世界王者時代に保持していたベルトを使用し『プロレスリング世界ヘビー級選手権』として王座を新設。9月21日、大阪でゲリー・オブライトを破った高田延彦が初代王者に認定された。

1993年になるとUSWAはWWFと提携し、1997年の閉鎖までWWFの二軍的な役割を果たした。同団体のトップ選手でメンフィスでは英雄扱いのジェリー・ローラーがWWFではブレットやオーエンのハート兄弟らに対して悪の限りをつくし、反対にWWFのビンス・マクマホンがメンフィスに刺客を送り込むという流れだった。今でこそ不思議ではないが、まだこの頃のマクマホンの悪役ぶりは意外で新鮮だった。その間、WWFのオーエン・ハートやタタンカ、ランディ・サベージ、レイザー・ラモン(スコット・ホール)、アーメッド・ジョンソンらがローラーと抗争し、統一世界王座を奪取した。また1996年にはフレックス・カバナがUSWA世界タッグ王座を奪取し、間もなくWWFと契約。後にザ・ロックとして一時代を築き、今では世界一有名なプロレス関係者となったドウェイン・ジョンソンだ。1996年12月にはジェリー・ジャレットがプロモーター業から退き、USWAもローラー所有となるが、1997年11月に閉鎖し、他団体の全米進出の中においても生き残っていたメンフィス地区にも終止符が打たれた。

1993年9月13日 テネシー州メンフィス
統一世界ヘビー級選手権: ジェリー・ローラー[王者] vs タタンカ[WWE]

1994年7月17日、フロリダ州オーランドでハルク・ホーガンがリック・フレアーを破りWCW世界王座を奪取。

1994年8月18日、東京でスーパー・ベイダー(ビッグ・バン・ベイダー)が高田延彦を破り、UWFインターナショナルおよびルー・テーズ認定の『プロレスリング世界ヘビー級選手権』を奪取。だが、ベイダーの起用がテーズに同団体に対して疑問を抱かせる結果となった。翌年4月に高田が王座を奪回し、10月に新日との合同興行で武藤敬司の保持するIWGP王座とのダブルタイトル戦が計画されると、テーズは王座認定を取り下げ、同団体と袂を分かつ。後年テーズはUWFインターナショナルについて、「ベイダーを呼んだ頃から、彼らもまた、レスリングの魂を忘れ、ただのプロレス団体に成り下がってしまった。」と述べている。

1997年11月9日、カナダのモントリオールで、既にWCW移籍が決定していたWWF世界王者ブレット・ハートにショーン・マイケルズが挑戦。試合中、マイケルズがハートにシャープシューター(サソリ固め)をかけた途端、リング下にいたビンス・マクマホンがレフリーに試合終了を命令。場内では、マイケルズが勝利し王座を奪取したと発表された。ベルトを掴むや否や、マイケルズは逃げるかのようにして控室に戻り、激怒したハートはリング上からマクマホンの顔に唾をかけ、放送席の機器を投げ散らし、更には控室でマクマホンを殴ったという。

日本のファンの間では『モントリオール事件』として知られる『Montreal Screwjob』の3分ドキュメンタリー

1998年3月29日、ボストンでショーン・マイケルズの保持するWWF世界王座にスティーブ・オースティンが挑戦することが決定。数週間前からオースティンとの挑発を繰り返し、マイケルズの味方を宣言した特別レフリーの元世界ヘビー級ボクシング王者マイク・タイソンが、試合の途中でマイケルズを裏切り、オースティンに勝利をもたらした。

1998年8月、メキシコのイサベルでラ・パルカがピラタ・モルガンを破りIWC世界王座を奪取。だが翌1999年4月、モルガンが再びIWC世界王者を名乗りAAAに登場。12月26日にはモンテレイでエクトール・ガルサがモルガンを破り王座奪取。一方パルカは翌2000年からCMLLなどでIWCハードコア王者として防衛を続けた。

1999年9月14日には、ラスベガスからの中継で、息子のシェーンをレフリーに任命したビンス・マクマホンがハンター・ハースト・ヘルムスリー(トリプルH)からWWF世界王座を強奪するが20日に返上。26日にシャーロットで6ウェイ戦による王座決定戦が行われ、ヘルムスリーが奪回した。11月14日、デトロイトでザ・ビッグ・ショー(ポール・ワイト)が3ウェイ戦でヘルムスリーとザ・ロックを破り同王座初栄冠。

1999年11月21日、カナダのトロントで空位となっていたWCW世界王座決定トーナメントが開催され、32人参加の中、ブレット・ハートとクリス・ベノワが決勝まで勝ち残った。カナダ人同士、そしてカルガリーのスタンピード・レスリング出身者同士の対決ではハートがベノワを破り、WWFに続きWCW世界王座も奪取した。

1999年12月17日、テネシー州ナッシュビルでマイク・アッサムを破り田中正人(現・将人)がECW世界王座を奪取するが、僅か6日後にはニューヨーク州ホワイトプレインズで奪回される。

1999年12月末の時点での世界王座は以下のとおり。

その後WCWもECWも、商標やビデオライブラリ―がWWFに買収された。WCW王座は全てWWFに統一され、ECWも一度はWWFのブランドの1つとして復活し世界王座も認定されたが長続きはしなかった。

2001年12月9日 カリフォルニア州サンディエゴ
世界ヘビー級統一戦: スティーブ・オースティン[WWF] vs クリス・ジェリコ[WCW]

UWAWWAは1990年代に閉鎖したが幾つかの世界王座は残った。だがいずれもヘビー級王座は2011年以降防衛されていないと思われる。IWC世界王座は2007年9月に他の3王座と共にAAA世界王座(通称AAAメガ王座)に統一。

ヨーロッパのCWAも2000年9月には閉鎖。

そんな中、実態こそ色々と変わり続けてきたが、なんだかんだ言って今尚NWAはプロレス界における世界最古のブランドとして存続している。

これ以降のことは、多くの人達の記憶にも新しいと思われるので、このシリーズは今回で最後としよう。

今では、ストリーミング配信などで、一昔前に比べると小規模団体でも試合を全世界に向けて中継し易くなり、その分『世界』と名の付いた王座も更に増えているようだ。一方、WWEの様に時期によって王座の名称に『世界』を使ったり使わなかったりする場合もあれば、プロレスリング・ノアのGHCや(先日までの)新日本プロレスのIWGPのように、『世界』と付かなくてもその価値が認められている場合もある。また、スターダムの王座の様に、英語的観点から見ると理解し難い名称だが、それでもファンには受け入れられている。

そういう意味では、プロレスの王座の名称に『世界』が付こうが付かまいが、どうだっていい時代なのかもしれない。

とはいえ、長年こんな研究ばかりしてる自分としては、それもまたちょっと寂しい話のような気もする。


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