WWEの殿堂2009

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明日4月5日は、WWEが毎年行なうビッグイベント、レッスルマニア。25回目の今回はヒューストンで行われる。そして今夜は、毎年恒例WWEの殿堂入りセレモニー。

まず7時過ぎから、ウェブキャストで数名が紹介された。最初に出てきたのは、ドリー・ジュニアテリーのファンク兄弟。自分達の世代なら、プロレスファンじゃなくても名前くらい聞いたことがあるくらい、70年代末から80年代にかけては日本で超人気だった。二人とも元NWA世界ヘビー級王者で、日本ではタッグの印象が強いが、アメリカではどちらかというと、シングルでの活躍の方が多かったんじゃないかと思う。それも、日本でのヒーロー人気とは反対に、アメリカでは悪役のことが多かった。ドリーは予想どおり紙に書いて用意されたスピーチを読んだだけだったが、テリーは喋り捲くってた…かと思えば、去年の式典で延々と続いたリック・フレアーのスピーチのせいか、今年から厳しくなった時間制限のおかげで、途中で音楽が鳴り始め打ち切り。もうちょっと聞きたかったなぁ。

そして、なぜ殿堂入りしたのかあまりよくわからないココ・B・ウェアに続き、エリック一家が紹介された。日本でジャイアント馬場とも死闘を演じたフリッツ・フォン・エリックと5人の息子達だが、病死や自殺が続き、現在残ってるのは長男のケビンのみ(実際には、ジャック・ジュニアが長男だったが7歳で感電死)。彼らの本拠地であるテキサス州デントン郡には、大学時代6年住んでて、次男のデビッドの未亡人とは飲み友達だったってこともあり、結構思い入れがある。でも色んな意味でケビンは好きじゃない。

続いては、カーボーイ・ビル・ワッツ。選手としてはもちろんだが、かつてオクラホマ、ルイジアナ、ミシシッピといった中南部で一大勢力を築き上げたプロモーター。その時代の彼の団体の映像は、離婚の際に元夫人に全て持ってかれたらしく、それを今回WWEが買収にこぎつけたかなにかで、ワッツの殿堂入りが決まったというのが大方の読み。そういう駆引き抜きでも、殿堂入りにふさわしい人だとは思うんだが。

プロモーターといえば、今回の会場のヒューストンは、長年名プロモーターのポール・ボッシュが仕切っていた。ココ・B・ウェアあたりを殿堂入りさせるくらいなら、ボッシュだろ…と思ったのは自分だけじゃないはず。ワッツがスピーチの中でボッシュの名前を出した時には、結構拍手があった。

ウェブキャストの最後を締めくくったのは、70年代後半からWWEのリングアナウンサーとして活躍してきたハワード・フィンケル。彼もまたWWEに十分以上に貢献した人物だ。藤波辰巳が1978年1月23日にニューヨークのマジソン・スクェア・ガーデンで、WWFジュニア・ヘビー級選手権を奪取した時も、フィンケルがアナウンサーだった。

ウェブキャストが終わったのは8時過ぎで、その後も式典は続き、編集されたものがケーブル局で10時から放送。

リック・フレアーがリッキー・スティムボートを紹介。日本人の母を持つリッキーは、80年代前半、全日本プロレスでファンク兄弟とミル・マスカラスに次ぐくらいの、アイドル的人気のある外国人レスラーだった。WWEに入団せず、来日し続けてたら、もしかしたら日本でもレジェンドになれてたかもしれない。89年のフレアーとNWA世界王座をかけた三連戦(?)が今尚ファンの間で語り草となっているが、フレアー本人曰く、それよりも数年前の、テレビカメラの入ってない会場での試合の数々の方がよっぽど良かったらしい。

最後はなんと、WWE会長ビンス・マクマホン自らが、スティーブ・オースティンを紹介。我が母校の北テキサス大を中退し(日本だったら先輩って言えるんだろうか…)、1989年にダラスでデビュー。その頃からローカルのテレビ番組などで見てて、将来必ず大物になると思ってたけど、まさか、こういうスタイルで、それもここまでの人気が出るとは当時はさすがに予想していなかった。そういった意味でも、昔っから思い入れのある選手だった。

最初の方にも書いたけど、今年から各スピーチの時間制限が厳しくなったせいか、殿堂入りした人達からの、昔のエピソードなどがあまり聞けず、そのうえテレビ放送版では、やたらとコマーシャルが多すぎたせいか、全体的に番組としてはつまらんかったかな。


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