1983年。夏になりかけた頃のある日の、暖かい昼過ぎだったと思う。記憶の中では日曜午後だったような気がするが定かではない。
自分が旅行で初めてアメリカに来るのは、その約9月後、中一が終わってからの春休みだった。既にその旅行が決定していたはずなんで、とにかくアメリカに憧れていて、音楽もほぼ洋楽ばかり聴いていた頃で、日本の音楽では長渕剛、中森明菜、そして少しだけRCサクセションを聴く程度だった。
その日は、全日本プロレスのトップの3選手であるジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎のアメリカ遠征が特別番組で放送されるというんで、逃せないと思ってテレビの前に居座って見ていた。
新日本プロレスが海外から中継の時は、どちらかというとニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンなど、都会っぽい雰囲気が多いような印象だったが、全日本の場合は、ノースキャロライナやジョージアとか、南部の田舎が多かったような気がする。でもそれもまた、いかにもアメリカっぽい感じで楽しかった。
その時も例外ではなく、ダラスからの中継だった。もしかしたら前半はジョージア州のサバンナからの試合もあったかも。自分が楽しみにしてたのは、ケビン・フォン・エリックをはじめ、デビッドとケリーの『鉄の爪』3兄弟だった。あの頃は、やたらかっこいいと思ってて、特にデビッドが好きだった。まさか6年後、ダラス近郊に住み始めるだなんて、当時は夢にも思ってなかった。
(実際住み始めると、ケビンに関する色んな噂や本人のインタビューなどを聞く機会が増え、いつの間にか、嫌いなレスラーの一人になってしまったが…)
当日デビッドは、ジミー・ガービンという、奥さんみたいな女性をセコンドに従えて来る奴と試合し、確かその女性が足を引っ張るかなにかで、デビッドが負けて悔しい思いをしたような記憶がある。
そして、ケビンはNWA世界ヘビー級王者だったハーリー・レイスに挑戦。レイスのずる賢い攻撃にブチ切れた弟デビッドが乱入して、結局ケビンの反則負けに終わった。だが、試合後、怖気ついたかのように寝そべったままのレイスに怒鳴りまくるデビッドがかっこいいと当時は思った。
ケリーはメインイベントでブルーザー・ブロディとタッグを組んだ。通常日本では悪役的な立場のブロディ、テキサスでは善玉だとは聞いていたが、同地のアイドルだったケリーとタッグとなると、やはり違和感を感じた。相手は、自分が知らないファビュラス・フリーバーズとかいうチームだった。マイケル・ヘイズと、後に日本で長期にわたって大活躍するテリー・ゴーディ。
彼らの入場シーンに目が釘付けになった。彼らに、というより、入場曲かな。かっこいいイントロに乗せて、南部っぽい旗を振りかざしながら入場。日本の山奥にしか住んだことなかった自分にとって、当時は全てがかっこよく思えた。後で調べたら、どうやらジョージア州の旗だったらしい。でも、歌が始まったら2人がリングに上がり、すぐに音楽が終わったんで、「あ~、もうちょっと聞きたかったなぁ。」という感じで、どんな曲なのかすげぇ気になった。
後で調べたら、ダラスでの試合は1983年6月17日だったらしいんで、放送はおそらく6月26日か7月3日だったんだろう。
翌日学校から帰ってきてだったか、全日本プロレスに電話して問い合わせてみたが、全日主催の興行じゃなかったので、日本テレビのスポーツ事務局に問い合わせてくれとのことだった。
即、日テレに電話してみた。
曲名が『フリーバード』というのは判ったが、電話だとバンド名が聞き取れない。何度も聞き直して、『レーナード・スキナード』という、変な名前のバンドだということが判った。後で知ったのは、バンドのメンバーが行ってた高校の体育の先生の名前が、レオナルド・スキナーとかで、そこからバンドを名付けたらしい。
とりあえず情報は得たが、広島の山奥のド田舎のレコード屋にそんなもの置いてあるわけがない。
そのファビュラス・フリーバーズは翌1984年に初来日。結局ゴーディだけが日本に定着することになるが、チーム名のとおり、自由に振舞ってるという印象だった。
それから更に約1年後だったか、用事で広島市内に出た際、ブルース・スプリングスティーンのライブの海賊版を探しに、輸入レコード屋に入ってみた。そしたらなんとそこで、レーナード・スキナードのアルバムを見つけた。手書きで、「今は亡きレーナード・スキナードのベスト版です!」とか書いてあったと思う。1977年の飛行機事故でボーカルとギターを含む数人が亡くなってたらしい。
早速そのアルバムを買ったわけだが、それに入ってる『フリーバード』はライブ版で、オリジナルのオルガンでのイントロでなく、ピアノだった。来日した時に流されてたのがオリジナルで、ダラスからの中継はこれと同じライブ版だったんだが、自分は両方を混同し、ダラスのもオルガンだと間違って覚えてたらしい。いずれにせよ、当時は残念に思ったけど、間もなく再びピアノを弾き始めた自分は、数年後にはピアノのイントロが結構気に入ってた。
1987年、自分は渡米し、1995年までノースキャロライナ、テネシー、テキサスと、正にレーナード・スキナードの音楽に象徴されるような『南部』に住んだ。『白人様様』の地域なんで、自分みたいなアジア人は嫌な想いをすることが多かったが、当然いい思い出ってのもある。
ノースキャロライナ滞在中、旅行で隣のサウスキャロライナにあるマートルビーチへ行ったが、夜散歩してたらドア全開のバーから音楽が聞えたので、中を覗くと、ギターとベースの2人だけのバンドが『フリーバード』をやってて、「さすがアメリカじゃのぉ…」とか感動した記憶がある。
テネシーにいた頃、レーナード・スキナードは、ボーカルの弟が入ったりして再結成したんで、カセットテープを買って聴いた。今ではオリジナルメンバーは1人だけなのに、全盛期の面子よりもずっと長くやってる。だが、新しい曲を幾つか聴いてみたけど、殆ど興味を持てなかったし、ライブの映像などを観ると、本人達も基本的に昔の曲にばかり頼ってるような印象がある。
テキサスでは一時、ほぼ毎週金曜にはダラスの会場にプロレスを観に行ってたことがあり、その中で、ヘイズとゴーディだけじゃなく、バディ・ロバーツやジミー・ガービンといった、他のメンバー達も含めたフリーバーズの試合も何度か観ることができた。
ハワイはもちろん、ロサンゼルスやニューヨークのように、日本人が多く集まる場所では、本当の意味でのアメリカっぽさを味わうのは難しいのかもしれない。渡米してから最初の8年を南部で過ごせたというのは、いい意味でも悪い意味でも、この国に住むにおいて、非常に大切な経験だったと思う。
そしてこの『フリーバード』のオリジナル版、いつか必ずやって来る自分の葬式で、教会堂から出棺の際に流してもらうと決めてる曲でもある。
