米国と世界

混乱を招く『中華思想』

カテゴリー: プロレス史一般

これは『研究における困難』に追記するべき内容なのかも知らないが、あえて個別に書くことにする。

メジャーリーグでも30組中、トロント以外の29組が全て米国のチームであるにも関わらず、毎年行われる選手権を『ワールド・シリーズ』と呼ぶが、多くの米国人の気持ちの中で、「我が国こそが『世界』」というのは、今に始まったことではなさそうだ。

19世紀末から20世紀初期までの米国内の選手権史を調査するうえで、面倒なことの1つに、何の選手権の試合なのか不明確なことが多いというのがある。体重別階級が間違って報道されていることも頻繁にあるが、その場合は簡単な方で、出場選手達のその試合の前後の試合結果を調べていくと体重や階級が記載されているので大体検討がつく。だが、その選手権がどの地域を対象としてるのか判断するという点においては、難しい場合が多い。

西海岸で世界王者を名乗っていた選手が、東海岸では『太平洋岸王者』として紹介されていたり、ヨーロッパで世界王者に認定されている選手が、北米に来て『ヨーロッパ王者』として紹介されていると、現地の世界王者と区別するのが目的ということなので、まだ解りやすい。

だが、1880年代から1910年代にかけて、多くの選手権で、『世界』と『米国』が混同されていたりなどで、不明確なことが多く、情報を整理するのが非常に困難だ。ちなみに、1920年代に入るとかなり落ち着いたようだが、今度は、全米各地に世界王座が乱立し始めて、別の問題が生じてくる。

『世界』と『米国』が実際に同一王座の場合もあれば、別々の場合もある。だが、試合前の新聞記事では世界選手権試合となっていても、試合結果の記事の中では米国選手権になっていたり、または逆であったりすると、その前後の記事を調べて、王座を保持していた選手が、どの地域で何の王者として紹介されていたかなど、更なる調査が必要だ。

同様の問題は、カナダやヨーロッパの新聞記事の中では、あまり見つからない。

結局、多くの米国人にとっては、『世界』と『米国』のどちらでもいいのだろうと思わざるを得なくなってくる。

『中華思想』という言葉には本来もっと深い意味があると思うが、「おらが国こそ世界の中心」という点では、正にこういう時に使う言葉なのかもしれない。


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