ダラス・スポータトリアムの常連だった頃、同じくほぼ毎週来てたこども達もいた。
会場の周りは結構物騒だったし、第一、この国ではこども達だけで出かけるということはまずないので、当然同伴の大人がいたんだろうが、それらしき人達を見た記憶がない。
その中の1人で、自分にやたらとなついてたのがいた。おそらく当時8、9歳くらいだったと思われる、カルロスとかいうメキシコ系の男の子だった。
なぜ、自分に話しかけるようになったのかは、はっきりとは覚えてないが、そいつはいつもチャンピオンベルトのおもちゃを、必ずと言っていいほど持ち歩いてたので、多分、自分が会場でビール飲みまくって酔っ払ってる時に、「なんだ、お前もチャンピオンか。」とか、話しかけたからだろう。だから、やたらと自分に、「こないだ、お父さんにまた新しいベルト買ってもらたんだよ。」と、報告してくるようになったんだと思う。
ある日、自分が日本人だと知ると、「(WWFの)ヨコヅナ、知ってる?」とか聞いてきたんで、「知ってるけど、日本人じゃなくて、サモア系なんだよ。(マネージャーの)ミスター・フジは、日系人だけど、ハワイ出身で、実はほとんど日本語喋れないんだ。」と説明してあげたら、周りの友達に自慢気に、「あそこにいる日本人 が言ってたんだけどさぁ…」とか言ってたっけ。
同じような感じで、新崎人生がWWFに白使として参戦した際も、「ハクシって知ってる?」とか聞いてきたんで、「うん、あれは本当に日本人なんだよ。日本でも活躍してたし、日本での試合のビデオも持ってるよ。」とか説明してあげたら、これまた周りの友達に自慢気に、「ハクシって、ヨコヅナと違って、本当に日本人なんだぞ。あの人が言ってたんだから。」とか言ってたっけ。
GWFが閉鎖し、ジム・クロケット・ジュニアがNWAの名でスポータトリアムで再び興行を始めた初日も、会場で自分を見つけるや否やカルロスは寄ってきて、「この新しいナショナル・レスリング・アライアンスっての、楽しみにしてるんだ。」とか言ってたっけ。「あのクロケットって人は、ノースキャロライナ周辺で昔からプロモーターとして大活躍してたし、NWAってのはもっと昔からあるんだよ…」などということはあえて言わずに、「そうだね、楽しみだよな。」と返してあげたけど。
ある日、会場で、時々オースティンから数時間運転して来てた観戦仲間のCが、呆れ顔で自分に言ってきた。
「ヒサって、なんで、いちいちあんなガキ連中の相手してんの?」
長年複数のプロレスのウェブサイトを運営し、今でこそ英語圏のプロレス史研究家の間では名前が通ってる自分だが、広島県北の山奥で生まれ育ち、両親も別にプロレスが好きってわけじゃない環境のまま16歳で渡米したもんで、実は恥ずかしながらそれまで日本での生観戦の経験は全く無かった。渡米後も、休みで帰国した際、県境越えたとこの岡山県の山奥の全日本プロレスの大会に一度行っただけ。
Cに、そういう背景を説明して、
「だからなぁ、幼い頃、いつでもプロレスを観に行ける環境に育ってたら、自分も親父にこうしてもらいたかったとか思うと、ああいう、プロレスを観て育つガキ連中の存在って、大事かなとか思ってさ。」と答えた。
すると、Cが表情を変えて言った。
「うちの親父は若くして亡くなったけど、幼い頃、オースティンの会場に親父がいつも連れてってくれて、エリック兄弟とか観てたから、自分にとっては、プロレス自体が親父の思い出なんだよな…。」
今でも、WWEはもちろん、ルチャリブレとか観に行っても、親子連れってのが、羨ましく思うことがある。
2年前に当時5歳のせがれを、獣神サンダー・ライガーやカマイタチ(高橋ヒロム)、坂井澄江らが出場した近所のインディの大会に連れてった時は全く興味を示さず、7歳になった今でも殆どって言っていいほどプロレスに興味を示さない。自分も無理して見せてるわけでもない。
が、最近になって時々、自分が嫁さんに、「〇月〇日は、プロレス観に行くけぇ、夜は留守じゃけぇの。」とか伝えてると、「父ちゃん、僕はいつプロレスに連れてってくれるの?」とか聞いてくるようになった。
日本と違って、こっちの興行は大抵8時頃から始まって10時半とか11時に終わるので、翌日が学校なら、なかなか連れてくのは難しいが、いつか親子で行けるようになったら、それはそれで嬉しいかもなぁ。
