今朝、なぜかふと思い出したんで、せっかくなんで書いておこう。
1987年4月、あるクリスチャン系留学斡旋機関を通して、アメリカにやって来た。バブル景気ってのは始まってたんだろうが、まだその影響が大きく現れてたわけではなかったと思う。少なくとも田舎の高校生だった自分にはそれを感じ取る能力もなかったし、我が家には無縁の話だったはず。だから、その後に留学ラッシュが始まることなんて全く知らず、自分にとっては人生の一大決意だった。
最初はみんな同じ寮に住み、一緒に英語学校に通い、秋の学期から大学や高校に入るというプログラムだった。自分の時は第13期で、33人が参加。
とはいえ、みんなそれぞれ違う学校に行くので、全米に散らばるわけで、学校が始まる日も違う。中には8月中旬に出発した奴もいて、少しずつ減っていき、レイバー・デーの翌日から学校が始まる自分は最後で、9月の1週目までいた。
1人残った自分を、斡旋機関の理事長夫婦が、食事に連れてってくれた。アメリカに来て4ヶ月半、初めての日本食屋だ。
連れてってくれたのは、当時アメリカの地方都市ならどこにでもあった、ナイフを投げたり火を燃え上がらせたりする、ショー的要素の強い鉄板焼。
テーブルを待ってる間、寿司カウンターで少しつまんでくことになった。
当然自分はその夫婦の隣に座ったわけだが、反対側の隣の席を1つ空けて、1人の男性が座ってきた。メガネをかけた白人で、体がでかく、髪の毛が薄く、髭が生ええて、よくアメリカのトラックの運ちゃんにいそうな感じのおっさんだったが、真横なもんで、じろじろ見るわけにもいかず、実際どんな顔かはわからなかった。その人は座るとすぐ、板前さんにサッポロビールを注文したので、「日本食屋なら、アメリカ人でも日本のビールを頼むんだ…。」とか、当たり前のことなのに感心した渡米間もない自分。
しばらく寿司を喰ってると、そのおっさんが、うちらの間の空いた席を引っ叩いて、何か叫んだ。多分「ここに座れ!」とか、そんな感じだったんだろうが、英語が殆ど喋れなかった自分は、はっきり覚えてない。
誰かが自分の隣に座るのなら、もうちょっと間を空けてあげようと思い、椅子を動かしながら、座ろうとしてる人の顔を見ると、目が合って、「Hi, how’re you doing?」って笑顔で言われた。絶句というか唖然というか、その店に出かける1時間程前、寮のテレビで観てたばかりじゃねぇか…。
広島県北の山奥の田舎町で生まれ育ち、16歳で日本を出た自分は、それまでプロレスの生観戦をしたことがなかった。メシ喰いに来て隣に座るのはもちろん、プロレスラーに会うのさえ、初めてのことだった。
そういえば、ここはノースキャロライナ州シャーロットじゃねぇか…。
驚いたまま、板前さんの方を見ると、言われた。
「リック・フレアーだよ。知ってんでしょ? サインもらう?」
「あ、お願いします!」
「あ、ごめん。色紙切らしてるや。」
小さいけど、店の名刺の裏にしてもらうことにした。
殆ど英語が喋れない自分。有名人がするサインのことは『autograph』で、「Please sign.」とか言うと契約書などに署名をお願いする時に使う表現だが、そんなことも知らずに、
「Excuse me, champion. Sign please.」
と、案の定言ってしまった。それでもフレアーは、アメリカ人からするとややこしい自分の 名前を一文字ずつ聞いてくれて、サインしてくれた。よく見ると、最初に座って来たおっさんは、アーン・アンダーソンだった。まだその頃は未来日だったんで、気付くのが遅かった。
1980年代後半、どこに行くにも日本人ってのはカメラを持ち歩いてたようだが、自分は持ってなかった。正直、当時はその夫婦と撮ってもしょうがないと思ってたし。今は亡きその夫婦、1枚くらいは一緒に撮っといてもよかったかも。
その理事長、プロレス好きだとは言ってたくせに、
「それは誰なんだい?」
とか聞いてきた。
「プロレスの世界チャンピオンですよ。」
「え!? そうなのか…。俺、今日に限って、カメラ持って来てないんだよ。」
理事長は大のカメラ好きで、うちらの仲間の生徒が、寮の部屋で怪我をして救急車で運ばれた時も、嬉しそうに「こういうのも記録に残しておかないとな」とか言って写真を撮ってたくらいだ。なのに、そういう時には持ってない。まぁ、あっちも、「どうせこいつ1人だし、カメラはいらねぇや。」とか思ってたんかもな。
そんな後悔するような経験があったにも関わらず、バブルのおかげで海外旅行で好き勝手に振舞い、意味もわからず写真撮りまくるばかりの日本人観光客の連中を見てると嫌気がさしてた自分はというと、渡米後最初の10年近くは、「日本人っぽい」とか思われるのが嫌で、まともなカメラを持とうとしなかった。今思うと、意地を張らずに、ちゃんと写真を撮っておいた方が良かったと思うことはたくさんあるが、これもまた若気の至りってやつか。
正直、プロレスを『本気』で観てたガキの頃は、フレアーって好きじゃなく、自分にとってはハーリー・レイスやニック・ボックウィンケルといった他の世界チャンピオンらのように強そうに見えなかったし、どちらかというとつまんないと思ってたが、成長していく中で、多少はプロレスを理解し、英語も聞き取れるようになると、フレアーの良さも少しずつ判るようになった。数年後には、アメリカで活躍する中では、最も好きな選手になっていた。
初めて会ったプロレスラーがリック・フレアーだったってことは、素直に感謝していいことなんだろうな。
